震災を忘れないために、南三陸町を巡ろう
2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を負った南三陸町。
今回は震災遺構の残る「南三陸町震災復興祈念公園」と、2022年10月にオープンした道の駅 さんさん南三陸内にある「南三陸311メモリアル」を取材しました。震災当時の実情とともに、今の様子を紹介します。
東日本大震災での南三陸町の被害
宮城県北東部、三陸海岸の南に位置する南三陸町。2011年3月11日14時46分に発生した地震は震度6弱を記録し、地震から約30分後には市街地を含む低地のほとんどが巨大津波にのみ込まれました。死者は620人、行方不明者は211人にのぼります。 建物は6割超が全半壊し、多くの人が長い間避難所生活を余儀なくされました。
震災後は、今後どのような災害に遭遇しても安全で安心な暮らしを続けることができるよう、宅地造成・土地のかさ上げを行い、震災後に名所となった「南三陸さんさん商店街」を2017年に移転オープンするなど、復興を進めていきました。
南三陸さんさん商店街と公園を繋ぐ「中橋」
道の駅「さんさん南三陸」 は、さまざまな施設で構成されています。 まずは「中橋」から南三陸町震災復興祈念公園に行ってみましょう。
まずは南三陸さんさん商店街の駐車場に車を駐めましょう。
写真は南三陸311メモリアル側の北側駐車場ですが、南三陸さんさん商店街側の南側駐車場もあり、普通車・大型車・障がい者専用・EV充電器合わせて約250台まで駐められます。車でのアクセスは、三陸自動車道「志津川」ICから5分ほど。
また、JR気仙沼線BRTの「志津川」駅が南三陸311メモリアルに隣接しているので、公共交通でも便利に行くことができます。
南三陸311メモリアル正面の道を川に向かって進むと見えるのが「中橋」です。
震災以前にも中橋はあり、現在の橋は南三陸町震災復興祈念公園とさんさん商店街を繋ぎ、橋自体を祈りの場としてデザインしているのだそう。
また、南三陸町震災復興祈念公園側から中橋を渡った先には上山八幡宮があり、この橋は神社にいたる参道の役割も果たしているのだそう。 下へ続く部分の両側にある支柱は、神社の千本鳥居のようだと評されています。
デザインは、新国立競技場を設計した日本を代表する建築家の隈研吾氏によるもの。隈氏は南三陸さんさん商店街と南三陸311メモリアルのデザインも手掛けており、南三陸町志津川地区の再生プロジェクトに大きく関わっている人物です。
中橋は、上へ丸く反ったアーチと、同じようにアーチが反転したものが組み合わさった構造で、上部と下部どちらも歩くことができます。
上部工の主部材には一般的な鋼管を使用していますが、床版には地元南三陸町の特産品とされてきた杉材を使用しているのだそう。
上からは海を見渡すことができ、下からは川面を眺めることができます。
下を歩くと、部材が三角形になるよう接合した骨組みでつくられる「トランス構造」をより感じることができますよ。
木の温かみを感じられ、復興の架け橋をイメージさせる橋になっています。