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岩出山城の景色

【岩出山城(城山公園)】政宗が12年間居城した山城

2020/10/29 更新

伊達政宗は2つ城下町をつくりました。1つは岩出山、もう1つが仙台です。今回は岩出山を訪ね、岩出山城跡から町並みを拝みたいと思います。政宗が12年も過ごしたという岩出山城は、現在どうなっているのでしょうか。岩出山城の歴史と現在の様子をお届けします!

目次

  • 岩出山城と伊達政宗
  • 岩出山城の歴史
  • 岩出山城の規模はどれくらい?
  • 岩出山城跡を散策!今どうなっているの?
  • 徳川家康が関わった岩出山城
アイキャッチ画像出典:撮影 筆者

岩出山城と伊達政宗

上杉神社境内

出典:PIXTA(米沢城のあった上杉神社境内)

初代仙台藩藩主・伊達政宗は、天正19年(1591)に出生地である山形県の米沢城から、宮城県の岩出山城に移っています。

自ら移ったのではなく、秀吉の命で強制的に移封(大名を他の領地へ移すこと)となったのです。

 

ではなぜ政宗は、岩出山城へ移されたのでしょうか? 原因とされる因果関係をさかのぼってみましょう。

1587年 秀吉による「惣無事令」の発令

豊臣秀吉 イメージ画像

出典:いらすとや(作成:編集部)

惣無事令(そうぶじれい)とは、関白・豊臣秀吉が制定した”大名間の私的な領土紛争を禁止する法令”です。この惣無事令を受諾し上洛した大名については、秀吉から領地と地位を保証されました。

伊達政宗

出典:いらすとや(作成:編集部)

しかし政宗は惣無事令を受け入れず、天正17年(1589)に蘆名(あしな)氏が治めていた会津へ侵攻します(摺上原の戦い)。

1589年 政宗が会津へ侵略「摺上原の戦い」

摺上原の戦い

出典:いらすとや(作成:編集部)

こうして天正17年(1589)に福島県の磐梯山麓で、政宗率いる伊達軍と会津を守る蘆名(あしな)軍が衝突します。 のちに「摺上原(すりあげはら)の戦い」と呼ばれるこの戦いに、政宗は大勝。

反伊達勢力の主力だった蘆名氏を追いやり、会津の黒川城(のちの鶴ヶ城/会津若松城)を手中に収めます。

 

会津を手に入れたことで、政宗は現在の山形県、宮城県、福島県をまたぐ南奥州の覇者となったのです。

しかしこの戦は”惣無事令違反”として認められず、小田原合戦後に秀吉によって会津は没収されることになります。

1590年 奥州仕置その1

秀吉 奥州仕置きのイメージ

出典:いらすとや(作成:編集部)

天正18年(1590)6月、政宗は秀吉に恭順の意を示し、※小田原征伐に遅れて参陣します。小田原征伐後、秀吉は天下統一を達成。

 

秀吉は※奥州仕置として、

① 政宗が遅れて小田原に来たこと

② 会津攻めが惣無事令に違反している

 

以上2点を理由に政宗から会津領などを没収、さらに減封(所領の一部を削減する)としました。これにより、政宗は黒川城から米沢城へ戻ることになります。

葛西大崎一揆

出典:いらすとや(作成:編集部)

そんな中、天正18年(1590)10月に葛西大崎一揆(かさいおおさきいっき)が勃発。

奥州仕置で領地を没収された葛西氏(宮城県三陸沿岸から岩手県南部を統治)と大崎氏(宮城県大崎5郡を統治)の旧家臣らが、新領主・木村吉清(きむら よしきよ)と清久(きよひさ)父子への反乱を起こします。

 

政宗は秀吉からこの一揆の鎮圧を命じられ、援軍として豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ)や徳川家康も出陣しました。

 

※小田原征伐……天正18年(1590)現在の神奈川県小田原市で起こった、豊臣秀吉と北条氏の戦い。北条氏を降伏させ、秀吉は天下を統一した。

※奥州仕置……秀吉の要請に答えず、小田原合戦に参戦しなかった奥州の大名たちに対する処罰。今までの領地がリセットされ、秀吉により新たな領地割が行われた。

1591年 奥州仕置その2

伊達政宗 豊臣秀吉 イメージ

出典:いらすとや(作成:編集部)

一揆勢の激しい抵抗に重臣を失いながらも、天正19年(1591)に政宗は葛西大崎一揆を鎮圧させます。

領主だった木村吉清は改易となり、代わりに葛西と大崎13郡は政宗に与えられることになります。

 

が、しかし! 政宗がこの一揆を扇動したのではないか? という疑惑が浮かび、政宗は秀吉に呼び出されます。

秀吉は政宗を無罪としたものの、実質2度目となる奥州仕置が行われました。置賜郡(おきたまぐん/米沢城を含む山形県の郡)をはじめ、伊達氏の本拠地であった長井、信夫、伊達を含む6郡も減封。

政宗は宮城県大崎市にある岩手沢城(のちの岩出山城)へ、移封となったのです。

岩出山城の歴史

政宗が移る前の岩出山城は、「岩手沢城」と呼ばれていました。

室町時代の応永年間(1394年~1428年)に、※奥州探題・大崎氏の家臣だった氏家直益が築城したと考えられています。

※奥州探題(おうしゅうたんだい)…陸奥国の統括を担っていた、室町幕府の役職の1つ。

奥州へ移った氏家氏

氏家(うじいえ)氏は、下野国(現在の栃木県)の勝山城(かつやまじょう)の氏家氏から出た一族で、先祖は※藤原北家宇都宮氏。

南北朝時代は足利氏の有力一門の斯波(しば)氏の被官(家人)となり、越中国(現在の富山県)で活躍したといわれています。

 

そこで南朝の重鎮だった新田義貞(にった よしさだ)を討ち取り、恩賞で与えられた美濃(現在の岐阜県南部)を治めたといい、これが美濃氏家氏のはじまりといわれています。

氏家氏は下野国に留まるもの、美濃へ移ったもの、後に奥州探題となる斯波氏とともに陸奥国へ下るものに分かれました。

重臣から反乱軍へ

陸奥国の氏家氏は貞和5年(1349)、室町幕府初代将軍・足利尊氏の命で、斯波氏の後継である大崎氏の監司(執事)に任じられ、岩出山城の城主になった、と※『伊達世臣譜略』には記されています。

 

その後も大崎氏を支え、重臣となった氏家氏。大崎氏は奥州有数の有力大名となり、伊達氏や最上氏、蘆名氏や葛西氏などと抗争を続けていました。

しかし戦国時代になると大崎氏の領内で内部分裂が起こり、氏家氏も次第に主君へ反抗心を抱くようになります。

 

そして天文3年(1534)、岩手沢城の城主・氏家直益がついに大崎氏へ反旗を翻したのです。

氏家氏をはじめとする反乱軍の猛攻に、自力での鎮圧を断念した大崎氏は、天文5年(1536)伊達氏に援軍を要請します。当時の伊達氏当主は、14代目の伊達稙宗(だて たねむね)でした。

 

一時は反乱軍が優勢だったものの、伊達氏の介入で情勢は暗転。直益は岩手沢城に2か月間籠城しましたが、結果は落城となります

しかしこの反乱は大崎氏家中らを動揺させ、その後も領内で権力争いや小競り合いが続き、大崎氏の勢力は衰退の一途をたどるのです。

大崎氏の大名滅亡、氏家氏は伊達氏に仕える

そして天正14年(1586)、大崎氏当主・大崎義隆(おおさき よしたか)の寵臣の対立が原因で、再び内紛が勃発。

今度は岩手沢城城主・氏家吉継(うじいえ よしつぐ)が伊達政宗に援軍を要請します。

 

政宗は5千とも1万ともいわれる大軍を送りますが、結果は氏家氏・政宗軍の大敗。大崎氏は政宗を追い返すことに成功しますが、内乱の傷は深く、勢力は衰退していきます。

そのため小田原合戦には参陣せず、奥州仕置の対象となり大名としての大崎氏は滅亡。

 

一方岩出山城の城主・氏家吉継は紆余曲折あって伊達家に仕えることになりますが、彼の死で氏家氏の嫡流は途絶えたと考えられています。

※藤原北家宇都宮氏…平安時代中期の公卿・藤原道兼(ふじわらのみちかね)の子孫とする嫡流。下野宇都宮氏(しもつけうつのみやし)ともいう。

 

※『伊達世臣譜略』……仙台藩が編集した家臣の系譜を収めたもの。

政宗は12年間岩出山で過ごす

秀吉により大崎氏の旧領に封じられた木村吉清、その家臣である荻田三右衛門が城主となりました。

しかし前半で紹介した「葛西大崎一揆」を鎮圧した功として、秀吉から旧葛西・大崎領を与えられた政宗。

 

城を渡された政宗は、岩手沢から岩出山(いわでやま)と改めました。この時期に政宗は「大崎少将」を名乗っています。

 

翌年の文禄元年(1592)政宗は岩出山城で正月を迎えました。しかし、この年の3月には朝鮮出兵の一軍として九州へ。その後、文禄4年(1595)4月まで岩出山城を留守にしています。

政宗は慶長8年(1603)仙台城へ移るまでの12年間、岩出山城を居城としました。

 

そして、政宗が移った後の岩出山城は、政宗の4男である伊達宗泰(だて むねやす)を初代とした岩出山伊達家が居住。明治維新まで続きました。

岩出山城の規模はどれくらい?

岩出山城 石垣

▲園内にのこる岩出山城の土塁

岩出山城(いわでやまじょう)は仙台市内から北へ約60km離れた、宮城県大崎市岩出山にあります。現在は城山公園として整備されており、麓には藩校であった「有備館(ゆうびかん)」があります。

有備館については、ぜひこちらの記事をご覧ください!

 

車だと仙台市内から約65分です。最寄り駅であるJR陸羽東線「有備館駅」からは徒歩約13分。

 

岩出山城は陸前丘陵の東端部、標高108mにつくられた典型的な山城で天然の要害です。東西約800m、南北約700mあったと考えられています。

本丸と二の丸を中心として三の丸もつくられ、北側は断崖絶壁、その下を政宗がつくった内川が流れています。

 

また南東には約10m幅の濠をめぐらし、その内側には二の構と称する鍵型の土塁。内川の外側も一の構と称する土塁で囲まれています。

敵の侵入を防ぐ「空堀」が、西と東側に設けられていました。

岩出山城跡を散策!今どうなっているの?

写真は岩出山城の登り口。こちらから車で本丸跡まで行けます。岩出山町役場があったところで、現在は駐車場です。

こちらから徒歩でも行けるので、運動がてら歩くのもいいかもしれませんね。

本丸跡

岩出山城

本丸跡です。トイレと売店(閉まっている)がありました。またコンクリート舗装の野外ステージがありました。

内門跡(虎口)

岩出山 内門

こちらは内門跡の土塁。野外ステージの裏手にあります。

伊達政宗公平和像

伊達政宗の像 岩出山

▲扇子を手にしている政宗公。立像の高さは4.5mとかなりの大きさです

内門跡を過ぎると像広場に入ると、写真上の「政宗公平和像」がたたずんでいます。政宗の像といえば写真下の仙台城にある騎馬像が有名ですが……。

見比べてもわかる通り、姿や形や色、雰囲気も違い、まるで別人のような感じがしませんか?

 

政宗公平和像がつくられたのは、太平洋戦争後の仙台。小野田セメント会社が彫刻家・柳原義達氏に託して制作し、市に寄贈されたものだそうです。

はじめは仙台城に設置せれていましたが、現在仙台城にある2代目伊達政宗公騎馬像が完成したため、昭和37年(1962)に岩出山に移設されました。

岩出山城 地図

「政宗公平和像」があるのは、赤矢印の部分。次はその右隣にある「南の腰廊跡(南広場)」へ向かいます。

南の腰廊跡(南広場)

岩出山城 南広場

南広場エリア。真っすぐ進んで行くと四阿(あづまや)がみえてきます。この四阿がある場所で南方面は行き止まりです。

岩出山城からの眺め

四阿から望む岩出山の町の風景。

岩出山城 地図

南の腰廊跡(南広場)から、右下のこども広場、さくら広場を通り、「北の空堀跡」へ向かいます。

二の丸(上中下さくら広場)

岩出山城 三の丸

四阿からこども広場を経由し、さくら広場を通り抜けた先にある「北の空堀跡(ダルマ広場)」へ向かいます。

岩出山城 散策

二の丸(さくら広場)エリア。案内板や場所の説明板などが無く、どこが何なのか迷います。

北の空堀跡(ダルマ広場)

岩出山城

北の空堀跡(ダルマ広場)に到着しました。青々とした草がボーボーと生えています。

政宗が居城していたころには、立派な御殿があったのでしょうか……。

岩出山城からみる市街地

ダルマ広場から望む北側の風景です。この広場の西側の端は断崖絶壁になっており、守りやすく攻めにくい山城の姿をみることができます。

SL広場

岩出山城 SL

本丸跡から一段下がった東側にあるSL広場。大崎市は2021年度から撤去、解体の方針を表明しています。

岩出山城跡の散策はここまで。旧有備館側にある「堀切跡」などは、工事の関係でいけませんでした(2020年10月現在)。

徳川家康が関わった岩出山城

岩出山城の景色

豊臣秀吉による実質、左遷と思われる伊達政宗の岩手沢城への移封。奥州仕置に伴い、先立って奥州の検地を行っていたのが徳川家康でした。

家康は岩手沢城に約40日間も滞在し、城の縄張りや改修修築を行ったようです。検地完了後に政宗へ城を引き渡したといわれています。

 

政宗が25歳から12年間居城したとされる岩出山城。この時、政宗はどんな気持ちだったのでしょうね。あなたも岩出山城跡を訪ねて、想いを馳せるのもいいかもしれません。

 

【岩出山城(城山公園)の基本情報】

所在地:

〒989-6437 宮城県大崎市岩出山字城山42-2

アクセス:

<車>

東北自動車道 古川I.Cから約15分。

<電車>

・新幹線を利用する場合

JR仙台駅から東北新幹線やまびこに乗車(約11分)し「古川駅」で下車。「古川駅」からJR陸羽東線「鳴子温泉行」に乗車(約28分)し「有備館駅」下車。「有備館駅」から徒歩で約13分。

・新幹線を利用しない場合

JR仙台駅からJR東北本線「小牛田行」に乗車(約45分)し「小牛田駅」で下車。「小牛田駅」からJR陸羽東線「鳴子温泉行」に乗車(約45分)し「有備館駅」下車。「有備館駅」から徒歩で約13分。

駐車場:

無料/20台

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