磯崎山公園入口階段

写真では急に見えますが、階段はそれほど急ではないのでご安心ください。てっぺんまでGO!

伊達政宗来所記念碑

磯崎山公園 伊達政宗来所記念碑

階段を上りきると、最初に見えてくるのが伊達政宗来所記念碑です。政宗公がこの地に来た様子が刻まれています。

記念碑の奥には太平洋が広がり、政宗公もここから海を望んだのではないでしょうか。

志賀潔頌徳碑

磯崎山公園 志賀潔頌徳碑

頂上の手前にあるのが、志賀潔頌徳碑(しがきよししょうとくひ)。志賀潔氏の功績を讃えて建立された記念碑です。

記念碑には「自ら信ずる所篤ければ、成果自ら到る」と志賀氏の語が刻まれています。

 

赤痢菌(せきりきん)を発見した、世界的な細菌学者の志賀氏。彼はこの磯浜をこよなく愛し、昭和24年(1949)に移住しています。

その後、昭和32年(1957)この地で死去。志賀氏の墓は仙台市青葉区北山の輪王寺にあります。

唐船番所跡

磯崎山公園 唐船番所跡

正保3年(1646)、仙台藩が異国の船を監視する目的で設置した唐船番所(からふねばんしょ/とうせんばんどころ)です。

 

監視は直参の足軽衆5人が担当し、2人1組5日交代で勤務していたそうです。御番所での監視は明治2年(1869)の廃止まで220年余り続きました。

唐船番所跡にある東屋

磯崎山公園 東屋

東屋から太平洋を一望できます。政宗公は、この磯浜で初めて海を見たといわれています。

磯崎山公園 唐船番所跡記念碑

東屋には唐船番所跡の記念碑が設置されていました。

東屋から見える景色

磯崎山公園 東屋からの景色

東屋から望む太平洋の大海原。潮騒も心地よく聞こえてきます。手前は磯浜漁港で、左手に見える建物は宮城県漁業協同組合の山元支所です。

 

震災時は、津波が磯浜漁港を含めこの一帯をのみ込み、公園丘陵の斜面を駆け上がり、この東屋まで迫ったそう。その後整備が行われ、ここまで復旧しました。

伊達政宗の座った石

磯崎山公園 伊達政宗の座った石

東屋の近くには、伊達政宗が座ったとされる石が置かれています。

恐れながら筆者も試しに座ってみましたが、この石から眺める太平洋はまた格別でしたよ。

波光山 礒性院観音堂

磯崎山公園 波光山 礒性院観音堂

東屋の反対側のルートを進むとお堂が見えてきます。

このお堂は、どんな願い事でも聞いてくれる身近な観音様として住民から厚く信仰されている、礒性院観音堂(ぎしょういんかんのんどう)。

 

震災時は住民がここまで避難したそうです。地震で壊れた御堂は早期に再建され、正月には「※元朝参り(がんちょうまいり)」として多くの人々が参拝に訪れます。

 

※元朝参り…茨城県~東北地方の方言で、初詣とは異なり元日の朝に行うお参りのこと。

 

磯崎山公園はここまで。お次は蓑首城跡に行ってみましょう。

 

【磯崎山公園の基本情報】

住所:

〒989-2111 宮城県亘理郡山元町坂元浜谷地亘理

アクセス:

【電車・タクシーの場合】

JR常磐線「新地駅」よりタクシーで約6分

【車の場合】

常磐自動車道「新地I.C」より約15分

駐車場:

無料/約10台(2021年11月現在仮設駐車場)

② 蓑首城跡 | 戦国~幕末まで、数々の遺構が残る

蓑首城 標識

磯崎山公園から「蓑首城跡(みのくびじょうあと)」までは車で10分ほど。

蓑首城は、山元丘陵の突端に築かれた平山城で比高は約20m。坂本城、坂元城、坂元要害ともいわれました。

 

現在、蓑首城の本丸跡は坂元神社になっています。

蓑首城跡の駐車場

蓑首城跡 駐車場

蓑首城跡の駐車場は、石段入口の反対側にあります。駐車可能台数は4台~5台ほど。こちらに駐めて蓑首城跡へ向かいましょう。

蓑首城跡の入口

蓑首城跡入口

駐車場から真っすぐ行くと蓑首城跡の入口があります。この鳥居をくぐり、石段を上ります。

蓑首城の本丸跡

蓑首城の本丸跡

蓑首山の最上部に到着です!

本丸跡は平場になっていました。奥に社殿らしき建物があるので、向ってみましょう。

坂元神社

坂元神社

主祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

こちらが坂元神社。風情があり歴史を感じます。

天正2年(1574)3月23日、亘理美濃守の家臣・坂元参河(さかもと みかわ)が蓑首城本丸に元妙見宮を勧請したのが始まりといわれています。

 

明治2年(1869)北辰神社と改称。明治42年(1909)他の村社と無格社を合祀して坂元神社と改めたそうです。

蓑首城 空堀

本丸跡からすぐの場所に、城を外周に形成された堀切(空堀)跡がみられます。

案内標識があるので、従って進めば迷う心配はありません。

 

次は二の丸跡へ向かいます!

蓑首城の二の丸跡

蓑首城の二の丸跡

二の丸跡は現在、山元町立坂元小学校になっていました。二の丸が広大な敷地にあったことがわかります。

 

蓑首城跡の三の丸跡

蓑首城跡の三の丸跡

小学校のとなりにあるのが、三の丸跡。ここには、貴重な遺構が残されています。

まずは大手門から入ってみましょう。

三の丸の大手門

蓑首城三の丸の大手門

三の丸の虎口に設置されていた大手門。残念ながら今は残っていませんが、かつては頑丈な門扉があったと伝えられています。

茶室

蓑首城茶室

茶室は天保3年(1832)、大條家15代当主・大條道直が仙台藩主から拝領したものとされています。昭和7年(1932)三の丸跡に移築されました。

板倉

蓑首城板倉

板倉(いたくら)は蓑首城城主・大條家ゆかりの建物で、戊辰戦争時は武器庫として使用されたと伝えられています。

次は大條氏御廟に向かいます。

大條氏御廟

蓑首城大條氏御廟案内

本丸から200mほど南の丘へ行くと、大條氏歴代の霊を祀る大條氏御廟(おおえだしおたまや)があります。

蓑首城大條氏御廟

ひっそりとした山中にあり、おごそかな雰囲気の御廟です。

蓑首城の歴史

蓑首城説明

元亀3年(1572)、亘理氏家臣の坂本俊久(さかもと としひさ)が築城したと伝えられています。

のちに、仙台藩祖・伊達政宗の命により城を改修。この間に城主が3人代わっています。

 

その後、伊達氏家臣の大條宗綱(おおえだ むねつな)が城主となり、江戸時代の元和2年(1616)に知行2,000石をもって入部しています。

一国一城令後は、伊達21要害の1つ坂元要害として存続。大條氏本家はのちに4,000石に加増され、幕末までこの地を治めました。

 

正保元年(1644)の村割りによって、地名表記が「坂本」から「坂元」へと変更になり、この城も坂元城(坂元要害)と記載されるようになりました。

戊辰戦争敗戦後の明治2年(1869)に廃城。現在、蓑首城跡は山元町指定の史跡となっています。

 

蓑首城跡はここまで。続いて、やまもと夢いちごの郷へ!

 

【蓑首城跡の基本情報】

住所:

〒989-2111 宮城県亘理郡山元町坂元舘下

アクセス:

【電車の場合】

JR常磐線「坂本駅」から徒歩約15分

【車の場合】

常磐自動車道「新地I.C」より約15分

駐車場:

無料/数台

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