アクセス
勾当台公園へのアクセスは電車が便利! こちらの仙台市地下鉄南北線勾当台公園駅の「公園出口1」から出てすぐになります。
道路を挟んで隣にある市民広場に行きたい場合は「公園出口2」を利用しましょう。
また仙台市中心部に位置しているので、仙台駅から徒歩でも15分ほどで行くことができます。
たくさんのお店や飲食店が並ぶ仙台アーケードを通るので、ショッピングを楽しみながらあっという間に到着します。仙台の賑やかな雰囲気を感じられるので徒歩で行くのもおすすめです!
車、バイク、自転車で行く場合は、市民広場側に駐車場、駐輪場があるので、そちらを利用してください。
いこいのゾーン
「公園出口1」から出て、勾当台公園に入ると広がるのが「いこいのゾーン」。
入口には彫刻家の一色邦彦さんの作品「季の杜に」が建っています。現在、過去、未来が表現されているとか……。
その先には広い広場と滝噴水が。緑と水の音が心地よいです。
散策した4月末は、広場にある八重桜が満開で、写真を撮る人が多かったです。
重なった花が大きく優雅で、目を引きますね。
滝噴水を正面にして、左手に進んでみましょう。
植栽の間にベンチがあり、ここで休む方もチラホラ。日当たりもよく休憩にぴったりです。
さらに奥に進みます。
志賀潔像
ここには、明治時代に赤痢菌を発見した志賀潔の像があります。
志賀潔は、代々伊達家に仕えた家柄の出身で、医者である祖父の家に預けられたことがきっかけで医者になったのだそう。第一高等中学校(現:仙台第一高等学校)で細菌学の道を志し、帝国大学医科大学(現:東京大学医学部)に進みます。
その後、伝染病研究所に入り、苦労の末に赤痢菌を発見しました。この発見により世界中の人を救ったことを称え、後世に伝えるために1969年に胸像が設置されました。
志賀潔像の目の前には、花壇が広がっていました。広場の反対側にもあり、きれいに整備された色とりどりのお花に癒されます。
次は階段を上った先を散策してみましょう。
勾当台公園野外音楽堂
滝噴水左手の階段を上ってすぐ見えるのが野外音楽堂です。 ステージと客席に木漏れ日が降りそそぎ美しい空間になっています。
イベント時には、ここで演奏が行われることも。仙台の秋の風物詩「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」でもこの野外音楽堂が使われています。
また左手には「スタンド喫茶 勾当台」という小さなお店が併設されていました。
この日はお休みでしたが、蕎麦やカレー、焼きそばなどが食べられるようです。コーヒーやココアなどの飲み物やちょっとした売店もあるそう。
平和記念像
中央に行くとあるのが「平和記念像」。 いこいのゾーンからも見える大きな彫刻です。
仙台出身の彫刻家、翁朝盛さん(おきな あさもり)によって作られました。仙台市にある彫刻の多くは「彫刻のあるまちづくり事業」によるものですが、この彫刻は1959年(昭和34)に設置されたとても古い彫刻です。
また、このあたりにはモミジが植えられており、秋には真っ赤に紅葉するので秋の散策はとくにおすすめです!
定禅寺跡
平和記念像の周辺は木が植えられており、ところどころにベンチが設けられているのですが、Googleマップを見ると、像のすぐ後ろあたりに「定禅寺跡」と書かれているのを発見!
地図に書かれているのはこのあたり。公園のすぐ隣にある「定禅寺通」と何か関係があるのでしょうか? 少し調べてみました。
定禅寺は、現在の合同庁舎と県庁のあたりに建っていたお寺で仙台城の鬼門にあることから戦国時代より伊達氏の祈願寺として重んじられたそうです。
しかし明治維新の、1870年(明治3年)に定禅寺は火災で焼失してしまいます。
さらに仙台藩は戊辰戦争に敗戦したため62万石から28万石に減封されて困窮し、1871年(明治4年)の廃藩置県で消滅。庇護を失った定禅寺は復興することが出来ず、1873年(明治6年)に廃寺となってしまいました。
「定禅寺」という名前は、元はこのお寺に通じる参道であった「定禅寺通」に現在も残り、杜の都を象徴するシンボルロードとなっています。
定禅寺跡にはとくに当時を偲ぶ碑などがあるわけではないのですが、当時はどのような姿だったのか想いを馳せてしまいますね。
そこから右手に歩いていくと喫煙コーナーが。
平日の夕方ということもあり、スーツを着たサラリーマンが喫煙をする姿が多く見られました。
勾当台公園の喫煙可能スペースは野外音楽堂付近、南東角の木陰付近、谷風像付近となっており、それ以外の場所は禁煙です。
仙台市は受動喫煙対策のためさまざまな取り組みを行っており、今後変更の可能性もあるので注意しましょう。
谷風梶之助等身像
定禅寺通の歩道に抜ける階段を降り、再びいこいのゾーンの方に向かうと途中に「谷風梶之助等身像」という力士の像があります。
谷風梶之助は江戸時代に活躍した仙台出身の力士で、大相撲史上屈指の強豪といわれています。
力量・人格の面において後の横綱の模範とされ、歴代横綱では第4代横綱となっているものの、史実においては初の横綱であり、(※)事実上の初代横綱なのだそう。
堂々とした姿が勇ましい銅像です。
ここでいこいのゾーンに戻り、道路を挟んで向かいの市民広場にも行ってみましょう。