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「曲木神社」参拝できるのは1か月に1度!歌枕の地に鎮座する社

塩竈市の「マリンゲート塩釜」から遊覧船に乗ると、最初にアナウンスで紹介される歌枕の地「籬島」。今回は、この島に鎮座する「曲木神社」を取材しました。いったいどんな神社なのでしょうか。曲木神社の歴史や現在の姿、詠まれた歌なども紹介します。

アイキャッチ画像:撮影 筆者
記事中画像:撮影 筆者

曲木神社とは?

曲木神社 正面

「曲木神社(まがきじんじゃ)」が鎮座するのは、塩竈湾に唯一浮かぶ籬島(まがきしま)。「籬が島」「曲木島」とも呼ばれ、周囲は約155mで面積は889平方メートルあります。

平安時代から和歌の名所として知られており、著名な都人(みやこびと)が籬島を詠んだ歌が和歌集におさめられています。

籬島は「おくのほそ道の風景地」の1つ

また『おくのほそ道』で知られる俳人・松尾芭蕉が、1689年(元禄2)門下の河合曾良とともに籬島を訪ねています。

2014年(平成26)には、国の名勝「おくのほそ道の風景地」として指定されました。また、2016年(平成28)には日本遺産の一部にも認定され、塩竈市の文化財となっています。

ITEM
おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫) [ 松尾 芭蕉 ]
発行年月:2001年07月25日
ページ数:258p

そんな島にひっそりと建つ曲木神社は、鹽竈神社の14末社の1つです。創建は明らかにされていません。

ご祭神は奥津彦大神(オクツヒコオオカミ)と奥津姫大神(オクツヒメオオカミ)の二神で、航海安全、大漁祈願、家内安全、福徳延命の御神徳があるそうです。

「曲木」の名前の由来には、たくさんの説がありますので紹介します。

曲木(籬)名前の由来

■【鹽竈神社公式HP 曲木神社の御由緒】

曲木神社と唱えるように籬は曲木と言った。というのは太古この島を杜松(トショウ、ネズ)の老木が覆っていた。

この木、一木ながら三つに曲がりくねって、その形は三つの島に見えたといい、曲木はここよりきたと語るのは市内吉津在住の小野初司朗氏である。

 

出典:鹽竈神社公式HP曲木神社の御由緒

 

■【鹽竈神社公式HP 松島町誌】

曲木のこと松島町誌は籬は曲木であってとし、この島に曲がった木ばかりで造った社があり、曲木のお宮と呼んでいたのを後の文人が都風に籬の字を当てた。

 

出典:鹽竈神社公式HP曲木神社の御由緒

 

■【鹽竈神社公式HP 別の伝説】

塩竃様がこの島を訪れたとき、そこの人達が穴居生活で不潔な暮らしをしていたので、家を建てる術を教えた。人々は曲り木を組み合わせて住んだので「曲木神」の称号を授けたので曲木島となったと書かれている。

 

出典:鹽竈神社公式HP曲木神社の御由緒

 

■【曲木神社に設置されている曲木(籬)神社由来の説明板】

曲木神社 説明板

古くこの島に曲がった柏槙(いむろ)の老木があったので、島を曲木島、神社を曲木明神と称したという。

 

出典:曲木神社内の曲木(籬)神社由来より

 

■【籬神社橋に設置されている曲木(籬)島の説明板】

曲木神社 箸の入り口にある説明板

曲木島は籬島とも称し、往昔鹽竈神社築造の際「曲木を巧みに用いた」籬島名(明)神を祀る小祠が島名の由来といわれている。

 

出典:籬神社橋前の曲木(籬)島の説明板より

籬神社橋

曲木神社

籬神社橋は、1979年(昭和54)に架けられ、2017年(平成29)に修復工事が終わり現在に至ります。橋が架かる前は、月次祭が行われる毎月1日にそのつど仮の橋を架けていたそうです。

参考までに、海上保安庁が1902年(明治35)と1927年(昭和2)に刊行した海図を見ると、籬島の周辺は何もない状態で完全な島でした。1962年(昭和37)刊行の海図では、埋め立てが進んでほぼ陸続きになっているのが確認できます。

 

それでは、橋を渡って曲木神社に行ってみましょう。

橋を渡って曲木神社を散策しよう

曲木神社 境内入り口

籬神社橋は、毎月1日と土日祝のみ開錠されます。

籬神社橋 入り口

開錠日以外は、施錠されています。島へは渡れませんのでご注意ください。

籬神社橋の上

そのまま真っすぐ進んで行きます。朱色の鳥居が見えてきました。

曲木神社 鳥居

籬島に上陸です。大きな「奥の細道」と刻まれた石碑が設置されています。鳥居をくぐって、そのまま進みましょう。

曲木神社 社殿

社殿が見えてきました。白い花と緑葉が美しいですね。

曲木神社 境内

こちらが社殿正面。二拝二拍手一拝で参拝します。なんと! ベンチまで朱色です。

次に社殿の周辺を見てみましょう。

曲木神社 板碑

社殿の裏側にある板碑。よく見てみると何か刻まれています。拡大してみましょう。

曲木神社 石碑 不明の絵

左上には、このような奇妙な絵が刻まれています。

曲木神社 石碑 人物の絵

左下には人物が刻まれていました。パッと見た感じではわからないので、ぜひじっくり観察してみてくださいね。

曲木神社 境内にある木の根

由来の説明板の左手にある古木。こちらは説明板がなかったため詳細不明です。もしかすると、これが曲木の由来とされる社松の老木なのかもしれませんね。

社殿を真っすぐ進むと、もう1つ鳥居がありました。鳥居には曲木神社の扁額がありますので、こちらが表参道だと思われます。

鳥居を背にすると目の前に広がる塩竈湾。遠くには七ヶ浜町の多門山が望めます。

 

曲木神社の取材は、ここまで。最後に籬島を詠んだ歌と芭蕉の句を紹介します。

籬島を詠んだ歌と芭蕉の句

籬島

古今和歌集 東歌

「我が背子を みやこにやりて 塩釜の まがきの島の松ぞ恋しき」

口語訳)我が夫を都へ送り出し、塩釜の「まがき島」の松のように、待っている間も恋しさが募ります

 

背子(せこ)…女性から親しい男性を指す時の言葉。この場合は夫。

後撰和歌集

「さてもなほ 籬の島のありければ 立ち寄りぬべく 思ほゆるかな」

口語訳)「もうこれ以上陸奥の歌枕はございません」と仰られても、まだ籬の島が残っておりますので、それを歌枕に一首詠みましょう。そして古歌のように、籬を越えてあなたのおそばに立ち寄ってみたいと思われます。(引用:文化の港 シオーモ

新勅選集 源信明朝臣

「あけくれば 籬が島を ながめつつ 都恋しき 昔のみぞ泣く」

口語訳)明けても暮れても、籬島を眺めながら、遠くはなれた都を恋しく思っては泣いてばかりおります。(引用:文化の港 シオーモ

源実朝

「塩釜の 浦ふく風に 秋たけて 籬が島に 月かたぶきぬ」

口語訳)塩釜の浦を吹く風で霧がすっかり晴れあがって、海に浮かぶ多くの島々に月の光がさえざえと澄みわたっていることです。(引用:文化の港 シオーモ

続後撰集 藤原為家

「塩がまの浦に入相(いりあひ)のかねを聞。五月雨の空聊(いささか)はれて、夕月夜幽(ゆふづくよかすか)に、籬(まがき)が嶋もほど近し」

口語訳)陸奥の籬の島には、白く砕け散った荒波が押し寄せてきます。「まがきしま」とは、その白波で籬を結いつけた名前だったのですね。(引用:文化の港 シオーモ

松尾芭蕉の句

「塩がまの浦に入相(いりあひ)のかねを聞(きく)。五月雨の空聊(いささか)はれて、夕月夜幽(ゆふづくよかすか)に、籬(まがき)が嶋もほど近し」

五月雨の空がいくらか晴れて、夕月がほのかに照らし、籬(まがき)が島も間近に見える。漁師の小舟が連れ立って漕ぎ帰り、魚を分け合う声を聞くにつけても、古人が〈綱手かなしも〉と詠んだ気持ちもよく分かり、いっそうしみじみとした心地がするものだ。(引用:文化の港 シオーモ

 

【曲木神社の基本情報】

住所:

宮城県塩竈市新浜町1丁目10

アクセス:

【公共交通の場合】

JR仙石線「東塩竈」駅より徒歩約7分

【クルマの場合】

三陸道「利府塩釜」ICより約10分

駐車場:

なし

開錠日時:

毎月1日と土曜日、日曜日、祝日のみ

10:00~16:00

ITEM
古今和歌集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典
発行年月:2007年04月25日
ページ数:194p サイズ

風光明媚な籬島と曲木神社へ

平安時代から歌枕の地として親しまれた籬島は、島全域が曲木神社になっています。芭蕉も訪れた風光明媚な籬島に鎮座する曲木神社に、あなたも一度訪れてみてはいかがでしょうか。

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曲木神社
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札幌出身で趣味はギター。前職の転勤で仙台に移り住み、気が付いたらもう30年になります。仙台は海の幸や山の幸も美味しく、とても暮らしやすい所です。そんな仙台の魅力を地元目線でお届けいたします。

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