籬島を詠んだ歌と芭蕉の句
古今和歌集 東歌
「我が背子を みやこにやりて 塩釜の まがきの島の松ぞ恋しき」
口語訳)我が夫を都へ送り出し、塩釜の「まがき島」の松のように、待っている間も恋しさが募ります
背子(せこ)…女性から親しい男性を指す時の言葉。この場合は夫。
後撰和歌集
「さてもなほ 籬の島のありければ 立ち寄りぬべく 思ほゆるかな」
口語訳)「もうこれ以上陸奥の歌枕はございません」と仰られても、まだ籬の島が残っておりますので、それを歌枕に一首詠みましょう。そして古歌のように、籬を越えてあなたのおそばに立ち寄ってみたいと思われます。(引用:文化の港 シオーモ)
新勅選集 源信明朝臣
「あけくれば 籬が島を ながめつつ 都恋しき 昔のみぞ泣く」
口語訳)明けても暮れても、籬島を眺めながら、遠くはなれた都を恋しく思っては泣いてばかりおります。(引用:文化の港 シオーモ)
源実朝
「塩釜の 浦ふく風に 秋たけて 籬が島に 月かたぶきぬ」
口語訳)塩釜の浦を吹く風で霧がすっかり晴れあがって、海に浮かぶ多くの島々に月の光がさえざえと澄みわたっていることです。(引用:文化の港 シオーモ)
続後撰集 藤原為家
「塩がまの浦に入相(いりあひ)のかねを聞。五月雨の空聊(いささか)はれて、夕月夜幽(ゆふづくよかすか)に、籬(まがき)が嶋もほど近し」
口語訳)陸奥の籬の島には、白く砕け散った荒波が押し寄せてきます。「まがきしま」とは、その白波で籬を結いつけた名前だったのですね。(引用:文化の港 シオーモ)
松尾芭蕉の句
「塩がまの浦に入相(いりあひ)のかねを聞(きく)。五月雨の空聊(いささか)はれて、夕月夜幽(ゆふづくよかすか)に、籬(まがき)が嶋もほど近し」
五月雨の空がいくらか晴れて、夕月がほのかに照らし、籬(まがき)が島も間近に見える。漁師の小舟が連れ立って漕ぎ帰り、魚を分け合う声を聞くにつけても、古人が〈綱手かなしも〉と詠んだ気持ちもよく分かり、いっそうしみじみとした心地がするものだ。(引用:文化の港 シオーモ)
【曲木神社の基本情報】
住所:
宮城県塩竈市新浜町1丁目10
アクセス:
【公共交通の場合】
JR仙石線「東塩竈」駅より徒歩約7分
【クルマの場合】
三陸道「利府塩釜」ICより約10分
駐車場:
なし
開錠日時:
毎月1日と土曜日、日曜日、祝日のみ
10:00~16:00
風光明媚な籬島と曲木神社へ
平安時代から歌枕の地として親しまれた籬島は、島全域が曲木神社になっています。芭蕉も訪れた風光明媚な籬島に鎮座する曲木神社に、あなたも一度訪れてみてはいかがでしょうか。