創建1,300年以上の歴史ある神社
仙台市の南に位置する名取市。今回は市西部にある熊野那智神社を取材しました。創建は1,300年以上も前にさかのぼるようです。
境内には何があるのでしょうか。熊野那智神社の歴史や見どころも紹介します。
熊野那智神社とは?
名取市の西部丘陵、標高204mの高舘山に鎮座する「熊野那智神社(くまのなちじんじゃ)」。
名取熊野三社の1社で歴史は古く、旧名取郡廣ノ浦(現在の名取市閖上)に住む治兵衛という漁師が、717年(養老1)に海底から藤の筏(いかだ)に抱かれた光る御神体を持ち帰ったのが始まりと伝えられています。
そして、719年(養老3)に現在の高舘山に社殿を建立。羽黒飛龍大権現と号して御神体を祀ったそうです。
紀州熊野三山の分霊を勧請
平安時代後期の1123年(保安4)、旭という名取の老女が、全国の熊野神社の総本社である「紀州熊野三社」の分霊を高舘山に勧請。のちに、熊野那智大社の分霊を羽黒飛龍大権現に合祀するにあたり熊野那智権現と号しました。
熊野那智権現から熊野那智神社に
中世時代、伊達家がこの地を治めるようになると伊達家代々の崇敬が厚く、社地を拡張し社殿を造営。熊野那智権現は、伊達家より手厚い保護を受けてきました。
明治の初めには、熊野那智神社に社号を改称。その後、吉田村(現在の名取市)に鎮座していた6つの神社を合祀し現在に至ります。
御祭神の第一主神は羽黒飛龍大神(ハグロヒリュウノオオカミ)で「海上安全」「大漁満足」「身体健全」「病気平癒」などの御神徳があるそうです。また、日本サッカー協会のシンボルマークにも採用されている八咫烏「やたがらす」が御神使になっています。
熊野那智神社の文化財
1868年(明治1)に発令された神仏分離令により、社殿に奉納されていた懸仏(かけぼとけ)などが関係者によって床下に埋められました。ところが、1898年(明治31)拝殿移築の際、床下から懸仏や銅鏡などを再び発見。
現在、懸仏や銅鏡の41点は国の重要文化財、また別の懸仏・銅鏡の114点が宮城県指定の有形文化財となっています。
\神社について知識を深めたい/
手づくりのイベント「マルシェ」を開催
熊野那智神社では、人と神が和み楽しむ場所になるようにと手づくりのイベント「マルシェ」を毎月開催。音楽演奏やキッチンカー、竹細工展示販売、猫デザインの小物などのお店が多数出店しています。
それでは、さっそく名取市の高舘山にある熊野那智神社へGO!
熊野那智神社には何があるの?
仙台から南へ車を走らせること約20分。名取市の高館山に到着です。熊野那智神社ののぼり旗が見えてきました。
この先のY字路を左に進みます。駐車場へはここを左へ。まずは駐車場に車を置きましょう。
熊野那智神社の駐車場
こちらが熊野那智神社の参詣道にある駐車場。左奥の階段は神門に通じています。
熊野那智神社の入口
今回は、神門がある参詣道からではなく社務所に近い入口から入ってみました。
男性は左側、女性は右側で通行するのが習わし。