改めて「定禅寺通」を歩いてみる
仙台駅より徒歩で約10分。今回は、杜の都仙台のシンボルロード「定禅寺通」を散策しました。春~夏は新緑、秋は紅葉が美しく、木漏れ日が気持ち良い道です。
この記事では、定禅寺通の紅葉の様子を中心に、定禅寺通りの歴史や見どころを紹介します。
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定禅寺通とは?
「定禅寺通(じょうぜんじどおり)」とは、仙台駅に接続している駅前通から西公園通を結ぶ全長約1.4kmの通りのこと。
定禅寺通には、1958年(昭和33)に植樹が始まったケヤキが現在166本並んでいます。特に東二番丁通より西側は、4列のケヤキ並木が美しく、1年中楽しめます。
その美しさから、1987年(昭和62)「日本の道100選」に選定されました。
また、定禅寺通の名が全国にも知られるようになった「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」や「SENDAI光のページェント」など、さまざまなイベントを開催。
こういったイベントを行う舞台としても仙台市民をはじめ県内外の方にも広く親しまれている定禅寺通は、杜の都仙台のシンボルロードとなっています。
定禅寺は実在した?
名前にある「定禅寺」は、明治の初めまで上記写真右手の合同庁舎付近に「定禪寺」(禪は禅の旧字)として実在していました。真言宗の寺院で、永正年間(1504年~1521年)の創建と伝えられています。
江戸時代、仙台開府のころ初代仙台藩主・伊達政宗が仙台城の鬼門(北東)封じのため、定禅寺を真言密法の祈願寺と定めました。しかし、明治維新を迎え1871年(明治4)の廃藩置県により仙台藩が消滅。その後、伊達家の庇護を受けていた定禅寺も衰退し、1873年(明治6)に廃寺となっています。
江戸時代の定禅寺通は現在と異なっていた?
江戸時代は、この定禅寺に向かうための通りが定禅寺通でした。しかし、現在の通りとは少し異なっていたようです。
当時の定禅寺通は、奥州街道の国分町から東に向かって定禅寺の門前までの範囲を定禅寺通、国分町から西は定禅寺通櫓丁(やぐらちょう)と呼んでいました。
明治時代になってから、定禅寺通の西側を広瀬川の手前まで延長。東側も大正時代のはじめ頃に、旧定禅寺の敷地を貫いて長丁(現在の錦町)とつながり、今の定禅寺通の原型ができあがります。
その後、1927年(昭和2)に仙台駅前から県庁まで市電が開通。道路も拡幅されました。戦後の復興都市計画で、定禅寺通は幅46mに拡幅され現在に至っています。
それでは、実際に駅前通側から定禅寺通を散策してみましょう。
駅前通から定禅寺通の錦町エリアへ
こちらが駅前通につながる定禅寺通の起点になる青葉区錦町1-1付近です。
今回訪れたのは11月初旬。イチョウが黄色く染まり、道路に葉が落ち始める季節です。ここから左へ入って行きます。
この通りは、中央にケヤキと左右にイチョウが並んでいるのが特徴。イチョウの紅葉は、上から徐々に黄色くなっているのがわかりますね。もう少し気温が下がると一気に紅葉が進みそうです。このまま真っすぐ進んで行きましょう。