③ 正義を貫いた藩士を悼む「縛り地蔵尊」
閑静な住宅街が広がる青葉区米ケ袋(こめがふくろ)地区内、広瀬川河川敷公園内にひっそりと佇む「縛(しば)り地蔵」。
赤い頭巾と前掛けを身に着けているところは普段目にするお地蔵様と一緒なのですが、その体は縄でぐるぐる巻きに縛られています。
少し怖いような感じもありますが、「人間のあらゆる苦しみ悩みを取り除いてくれる」と人々から信仰されている、有難いお地蔵様なのです。
体が縄で縛られているのは、願掛けする際にの風習のようです。
塩釜市の浦戸諸島の一つ、寒風沢島にも願掛けの縛り地蔵がありました。
毎年7月23日と24日には縛り地蔵尊の例祭が行われ、年に一回この日だけ縄が解かれるようですよ。
伊東七十郎を魂を供養するために建てられた
この縛り地蔵尊ですが、江戸時代前期に起こった「伊達騒動」と深い関わりがあります。
伊達騒動とは仙台市が仙台藩だった当時、藩の主導権を巡り伊達家内で起こったお家騒動のこと。
『樅ノ木(もみのき)は残った』という小説にもなり、さらに1970年にはNHK大河ドラマで放送されました。
騒動の発端となった人物は、仙台藩3代藩主・伊達綱宗(だて つなむね)。藩祖・政宗公の孫にあたります。
しかし綱宗公は、酒や色事に溺れ、藩政の仕事をほとんどしませんでした。
そんなグータラ藩主に、政宗公の十男・伊達 宗勝(だて むねかつ)や家臣たちは当然怒ります。
宗勝らは「幕府から綱宗公を隠居させるように命じてくれ」と江戸幕府に嘆願。結果、綱宗公を強制隠居させることに成功します
綱宗公に代わり4代目の藩主を継いだのは、綱宗の長男・伊達綱村(だてつなむら)。
しかし綱村公は当時まだ1歳だったため、後見役となった宗勝や親戚らが権力を振りかざすようになります。
そこで登場するのが、家臣である伊東七十郎重孝(いとう しちじゅうろう しげたか)。
重孝公の祖父は、政宗公に仕えた名将・伊東重信(いとう しげのぶ)。郡山城を巡る合戦の中で、最大の戦となった夜討川合戦(ようちがわ)において、政宗公の身代わりとなり討ち死にしました。
そんな祖父の血を受け継いだ重孝公は、伊達家の安泰のため仙台藩を乗っ取ろうと画策していたとされる宗勝公を討ちに出ます。
しかし結果は失敗。逆に捕らえてしまいます。
そして寛文8年(1668)、現在の愛宕橋の右岸あたりに建っていた誓願寺(せいがんじ)の河原にて、重孝公は斬首。享年36歳でした。
一族も、切腹、流罪、追放など重い罪を課せられます。
縛り地蔵尊は、正義のために非業の死を遂げた重孝公の供養を願い、当時の人々によって建てられました。
重孝公は斬首される前に、「三年以内に兵部殿(宗勝)を亡き者にして見せる」と言い残したそうです。
そして死後から3年後、宗勝公らの悪行が明るみにされ、一派は処罰されます。
ちなみに現在の縛り地蔵は、昭和34年に再建されたもの。当時のお地蔵様は、昭和20年の戦災により焼け崩れてしまったそうです。
【縛り地蔵尊の基本情報】
仙台市青葉区米ケ袋3-5-13
アクセス:
・仙台駅から車で約10分
・仙台市地下鉄南北線「愛宕橋駅」から徒歩約15分