松森城ってどんな城?
松森城は、いつ、誰が、どのような目的で築城したのか、まだ明らかにされていません。
史料によると1353年の※南北朝時代(1336年~1392年)に、松森城の城主として国分氏(こくぶんし)の名が記されています。
南北朝時代(1336~1392)…鎌倉幕府崩壊後、天皇家が分裂した時代。室町幕府(足利尊氏)が擁護する天皇(北朝)と、吉野に逃亡した後醍醐天皇側(南朝)。
城主の国分氏って何者?
国分氏は、陸奥国分寺(現在の仙台市若林区木ノ下)付近から宮城郡南部にまで勢力を張っていた武士の一族。
伊達政宗(だてまさむね)が築城した「仙台城」の前身といわれる、「千代城(せんだいじょう)」を居城としていました。
そんな国分氏のライバル的な存在だったのが、留守氏(るすし)。
留守氏は1189年の※奥州合戦以降、陸奥国(奥州)の※留守職を務めた伊沢家景(いさわ いえかげ)を家祖とする一族。
家景の息子・家元以降に留守氏と称するようになり、岩切城(現在の仙台市宮城野区岩切)を拠点に現在の利府、多賀城一帯を所領としていました。
※奥州合戦……鎌倉幕府創設期の源頼朝と、陸奥平泉を中心に東北地方一帯に勢力を張った奥州藤原氏の戦い。源頼朝が勝利する。
※留守職……奥州藤原氏の滅亡後、陸奥国国府(多賀城)にあった統治機関の一つ。任務は民事行政の全般。