船岡城址公園の駐車場
こちらが本丸跡がある山頂に一番近い駐車場です。けっこう広めなので安心して止められますよ。
さくらの里
駐車場の向かいにある「さくらの里」。地元野菜や地元特産品、植物、お土産品などが販売されています。右側にはトイレが整備されていました。
現在地の案内図です。本丸跡がある四保山は、標高は約135mの低山。公園の面積は15,3000平方メートルあり、東京ドームに換算するとおよそ3.2個分と、かなり広いです。
頂上まで運んでくれるスロープカーは快適!
駐車場からすぐ近くにある「スロープカーのりば」。今回はスロープカーを利用して頂上を目指します。
乗車料金は、片道大人250円、小学生150円、未就学児は無料。
もちろん頂上までは歩いて行けますが、正直キツイです!
筆者の個人的な感想ですが、上りはスロープカーを使って頂上まで行き、下りは歩いてゆっくりと周辺を散策することをオススメします。
頂上までの所要時間は、片道3分40秒。ゆっくりコトコトと上へ上へ。春は斜面に植えられた桜が花開き、車窓からは桜のトンネルを通るような風景がみられるそうです。
里山ガーデンハウス
スロープカーを降りて、まずは頂上へ向います。写真上はその道中にある「里山ガーデンハウス」。平成27年(2015)にオープンしました。
それまでは山頂にトイレがなく、かなり不便だったそうです。ハウスはトイレと休憩所を兼ねています。
ちなみにガーデンハウスが建つあたりは、船岡城の二の丸の跡地にあたるそうです。
柴田外記(左)と原田甲斐(右)の供養塔
頂上の手前に、寛文事件(伊達騒動)で斬死された原田甲斐(原田宗輔 はらだ むねすけ)と柴田朝意(しばた とももと)の供養塔があります。
~定説~
事の発端は、まだ2歳の亀千代(のちの4代藩主・綱村)が藩主の座に就いたことに起因します。
なぜ幼子の藩主が誕生したのか、それは仙台藩3代藩主・伊達綱村が仕事をせず遊んでばかりいたため、幕府の命により強制隠居となったからです。
当然亀千代は仕事ができませんから、後見人の叔父の伊達宗勝(だて むねかつ)が藩政をサポートすることになります。原田甲斐(原田宗輔)は、宗勝の側近でした。
しかしこの宗勝がまたやりたい放題で、堪忍袋の緒が切れた家臣たちが、伊達 宗重(だて むねしげ/伊達安芸)をリーダーに立て、幕府に宗勝の横暴ぶりを訴えます。
そして江戸の酒井忠清邸で審議が行われましたが、その最中に原田甲斐が宗重に斬りかかり、殺してしまいます。原田甲斐もまた宗重の側近に斬られ、絶命。騒動の結果、原田家の男は孫の赤子に至るまで死罪、女性は他家に預けられ一族は断絶となりました。
~『樅ノ木は残った』~
しかしこの騒動は不明瞭な部分が多く、真相は明らかにされていません。様々な見解があり、『樅ノ木は残った』もその内の一つといえいます。
作品は定説とは違い、自ら悪人を演じて伊達家を守った忠臣として、原田甲斐の生涯と伊達騒動を描いています。
本丸跡にある船岡平和観音像
頂上に到着しました! 写真上は本丸跡にある、船岡城址公園のシンボル「船岡平和観音像」です。昭和50年(1975)に、船岡出身の野口徳三郎氏が、亡き夫人の冥福と世の平和と安全の願いを込めて建立されたものだそう。
コンクリート製観音像は、台座を合わせるとその高さは24m。麓からもよくみえることから、柴田町のシンボルとなっています。
天空カフェ
観音像の手前にある天空カフェ。この日はお休みでしたが、味噌おでんが人気だそうです。飲食可能でトイレも完備している休憩スポット。
山頂からみる風景
太平洋側の東側をみると、白石川に沿ってS字のように一目千本桜が並んでいます。天気が良いと石巻の牡鹿半島までもみえるようです。
反対の西側をみると、美しい蔵王連峰の雄姿がのぞめます。手前にみえる白い建物は、大河原町にある仙台銘菓「萩の月」の菓匠三全の工場。
船岡城址公園からの眺望は「みやぎ蔵王三十六景」の1つに選ばれています。
樅の木は残った展望デッキ
次に山頂から下りて「樅の木は残った展望デッキ」へ向かいましょう。下りは一部急坂もあるため、足元にご注意ください。
こちらが「樅の木は残った展望デッキ」で、写真正面にみえる大きな木が樅の木です。園内は整備が行き届いており案内板も多く、とてもわかりやすいですよ。
展望デッキから見下ろすと、「しばた千桜橋(せんおうきょう)」がみえます。隣に白石川が流れ、遠くには蔵王連峰が望めます。
桜開花期間中は、写真上のような大渋滞になる橋です。橋の下を東北本線が走り、桜のツーショットを狙う人々で行列を成しています。
次に「しばた千桜橋」に行ってみましょう。