「船岡城址公園」伊達騒動を伝える城主と樅ノ木!仙南のお城めぐり

2021/06/03 更新

仙台市と周辺の城を紹介する、お城巡りシリーズ第7弾! 今回は仙南地域と呼ばれる宮城県柴田郡船岡町にある「船岡城址(ふなおかじょうし)」をピックアップ。仙台から1時間ほど南へ車を走らせ、現地に行って取材してきました。船岡城の歴史や現在の姿をお伝えいたします。

アイキャッチ画像:撮影 筆者
記事中画像:撮影 筆者

ざっくり解説「船岡城」とは?

船岡城址公園 スロープカー

▲船岡城址公園のスロープカー

「船岡城(ふなおかじょう)」は※陸奥国(むつこく)柴田郡舟岡(現在の宮城県柴田郡船岡町)に存在した山城です。

築城年代は不明ですが、史料から鎌倉時代には存在していたのではないかと推測されています。

城主は伊達氏の家臣

船岡城の城主が明らかになるのは、戦国時代の天文年間(1532~1554年)に城主を務めた、伊達氏家臣の四保但馬定朝(しのお たじま さだとも)からです。

戦国時代の柴田郡は伊達氏の所領となっており、四保氏は伊達氏の家臣でした。

 

四保氏は後に柴田氏と改名。所替えで一時は柴田郡を離れるものの、明治維新まで柴田家の一族が船岡城を居城としていました。

※陸奥国…現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県

小説『樅の木は残った』の題材となった「樅の木」がある

船岡城広く知られるようになったのは、山本周五郎氏著作の『 樅の木は残った』の影響が大きいでしょう。

この小説は、伊達家のお家騒動「寛文事件(伊達騒動)」を題材にした歴史小説 で、何も語らない孤高な樅の木と、藩を守るために尽力した船岡城城主・原田甲斐(はらだ かい)の人生を描いています。

※伊達騒動については、記事後半で紹介しています。

 

これまで原田甲斐は“悪人の逆臣”とされてきましたが、この小説をきっかけに“伊達家の忠臣”へと評価が様変わり!

昭和45年(1970)には、NHK大河ドラマ「樅の木は残った」が放送され、船岡城址には原田甲斐を偲んで多くの観光客が訪れるようになりました。

日本さくら名所100選の地

船岡城址公園の山頂から見た一目千本桜

出典:PIXTA

現在船岡城は「船岡城址公園」として、一般開放されています。園内にはおよそ1,000本の桜の木が咲き誇り、城下を流れる白石川の千本桜と共に、「日本さくら名所100選の地」に選ばれました。

宮城県内の日本さくら名所100選の地は、船岡城址公園と白石川堤一目千本桜のみです。

 

続いては、船岡城址公園の様子を写真と共にご紹介します!

船岡城址公園内を散策

船岡城址公園 駐車場

車で船岡城址公園へ向かうと、写真上にある麓の駐車場が目に留まります。

ここには駐車せず、先へ進むと中腹辺りに駐車場があるので、右側にみえる看板の矢印の方向に上へ進んでいきましょう。

船岡城址公園の駐車場

船岡城址公園 駐車場

こちらが本丸跡がある山頂に一番近い駐車場です。けっこう広めなので安心して止められますよ。

さくらの里

船岡城址公園 さくらの里

駐車場の向かいにある「さくらの里」。地元野菜や地元特産品、植物、お土産品などが販売されています。右側にはトイレが整備されていました。

船岡城址公園 マップ

現在地の案内図です。本丸跡がある四保山は、標高は約135mの低山。公園の面積は15,3000平方メートルあり、東京ドームに換算するとおよそ3.2個分と、かなり広いです。

頂上まで運んでくれるスロープカーは快適!

船岡城址公園 案内板

駐車場からすぐ近くにある「スロープカーのりば」。今回はスロープカーを利用して頂上を目指します。

乗車料金は、片道大人250円、小学生150円、未就学児は無料。

 

もちろん頂上までは歩いて行けますが、正直キツイです!

船岡城址公園 スロープカー

▲レトロで可愛い

筆者の個人的な感想ですが、上りはスロープカーを使って頂上まで行き、下りは歩いてゆっくりと周辺を散策することをオススメします。

船岡城址公園 スロープカー

出典:PIXTA(桜のトンネルとスロープカー)

頂上までの所要時間は、片道3分40秒。ゆっくりコトコトと上へ上へ。春は斜面に植えられた桜が花開き、車窓からは桜のトンネルを通るような風景がみられるそうです。

里山ガーデンハウス

船岡城址公園 ガーデンハウス

スロープカーを降りて、まずは頂上へ向います。写真上はその道中にある「里山ガーデンハウス」。平成27年(2015)にオープンしました。

それまでは山頂にトイレがなく、かなり不便だったそうです。ハウスはトイレと休憩所を兼ねています。

 

ちなみにガーデンハウスが建つあたりは、船岡城の二の丸の跡地にあたるそうです。

柴田外記(左)と原田甲斐(右)の供養塔

船岡城址公園 原田甲斐の供養塔

頂上の手前に、寛文事件(伊達騒動)で斬死された原田甲斐(原田宗輔 はらだ むねすけ)と柴田朝意(しばた とももと)の供養塔があります。

 

寛文事件(伊達騒動)とは?

~定説~

事の発端は、まだ2歳の亀千代(のちの4代藩主・綱村)が藩主の座に就いたことに起因します。

 

なぜ幼子の藩主が誕生したのか、それは仙台藩3代藩主・伊達綱村が仕事をせず遊んでばかりいたため、幕府の命により強制隠居となったからです。

 

当然亀千代は仕事ができませんから、後見人の叔父の伊達宗勝(だて むねかつ)が藩政をサポートすることになります。原田甲斐(原田宗輔)は、宗勝の側近でした。

しかしこの宗勝がまたやりたい放題で、堪忍袋の緒が切れた家臣たちが、伊達 宗重(だて むねしげ/伊達安芸)をリーダーに立て、幕府に宗勝の横暴ぶりを訴えます。

 

そして江戸の酒井忠清邸で審議が行われましたが、その最中に原田甲斐が宗重に斬りかかり、殺してしまいます。原田甲斐もまた宗重の側近に斬られ、絶命。騒動の結果、原田家の男は孫の赤子に至るまで死罪、女性は他家に預けられ一族は断絶となりました。

 

~『樅ノ木は残った』~

しかしこの騒動は不明瞭な部分が多く、真相は明らかにされていません。様々な見解があり、『樅ノ木は残った』もその内の一つといえいます。

作品は定説とは違い、自ら悪人を演じて伊達家を守った忠臣として、原田甲斐の生涯と伊達騒動を描いています。

本丸跡にある船岡平和観音像

船岡城址公園 観音堂

頂上に到着しました! 写真上は本丸跡にある、船岡城址公園のシンボル「船岡平和観音像」です。昭和50年(1975)に、船岡出身の野口徳三郎氏が、亡き夫人の冥福と世の平和と安全の願いを込めて建立されたものだそう。

地上から見上げた船岡城址公園

出典:PIXTA(麓からみた船岡城址公園)

コンクリート製観音像は、台座を合わせるとその高さは24m。麓からもよくみえることから、柴田町のシンボルとなっています。

天空カフェ

船岡城址公園 天空カフェ

観音像の手前にある天空カフェ。この日はお休みでしたが、味噌おでんが人気だそうです。飲食可能でトイレも完備している休憩スポット。

山頂からみる風景

船岡城址公園からみる白石川船岡城址公園の山頂から見た一目千本桜

出典:PIXTA

太平洋側の東側をみると、白石川に沿ってS字のように一目千本桜が並んでいます。天気が良いと石巻の牡鹿半島までもみえるようです。

船岡城址公園からみる蔵王山

反対の西側をみると、美しい蔵王連峰の雄姿がのぞめます。手前にみえる白い建物は、大河原町にある仙台銘菓「萩の月」の菓匠三全の工場。

白石川堤一目千本桜

出典:PIXTA

船岡城址公園からの眺望は「みやぎ蔵王三十六景」の1つに選ばれています。

樅の木は残った展望デッキ

船岡城址公園 遊歩道

次に山頂から下りて「樅の木は残った展望デッキ」へ向かいましょう。下りは一部急坂もあるため、足元にご注意ください。

船岡城址公園 桃ノ木が残った展望台

こちらが「樅の木は残った展望デッキ」で、写真正面にみえる大きな木が樅の木です。園内は整備が行き届いており案内板も多く、とてもわかりやすいですよ。

しばた千桜橋

展望デッキから見下ろすと、「しばた千桜橋(せんおうきょう)」がみえます。隣に白石川が流れ、遠くには蔵王連峰が望めます。

しばた千桜橋 桜

出典:PIXTA

桜開花期間中は、写真上のような大渋滞になる橋です。橋の下を東北本線が走り、桜のツーショットを狙う人々で行列を成しています。

 

次に「しばた千桜橋」に行ってみましょう。

しばた千桜橋(一目千本桜)

船岡城址公園 歩道

展望デッキを下りていくと、右に「しばた千桜橋入口」の案内があります。ここを下りて、白石川の方へ向かいます。展望デッキから千桜橋までの距離は約300mです。

柴田町 橋

しばた千桜橋に到着です。平成27年(2015)に開通式が行われた、わりと新しい橋です。

東北本線と白石川千本桜白石川と桜並木

出典:PIXTA

桜シーズンには、東北本線を走る電車と桜の共演、残雪の蔵王連峰とのマッチングが美しく、多くの観光客が訪れます。

白石川堤一目千本桜

出典:PIXTA

こちらは橋を渡ると、白石川の土手へ降りてきます。春は桜のトンネルが生まれ、隣の大河原町まで花見散策を楽しめますよ!

船岡城址公園と樅ノ木

千桜橋から展望デッキをみた風景。右の一番大きな木が樅の木です。この樅ノ木が、小説の題名のヒントになったといわれています。

 

次に伊達騒動で命を落とした、伊東七十郎重孝(いとう しちじゅうろう しげたか)の辞世の句碑へ行ってみましょう。

伊東七十郎重孝の辞世の句碑

船岡城址公園 辞世の句

しばた千桜橋から、再び展望デッキへ戻ります。展望デッキから少し下りると四阿(あずまや)があり、その近くに「伊藤七十郎重孝(いとう しちじゅうろう しげたか)の辞世の句碑」があります。

 

七十郎は伊達家のお家騒動「寛文事件(伊達騒動)」において、自身と対立する伊達宗勝を討とうとしますが、事前に計画が漏れており捕えられてしまいます。

仙台市 縛り地蔵

▲広瀬川河川敷公園内にある「縛り地蔵」

七十郎は入牢日から絶食し、この句を書いた4日後の寛文8年(1668)に仙台の米ヶ袋刑場で斬首刑となり、36歳の若さでこの世を去りました。

刑場の近くには、当時の人々が七十郎の供養のために建立した「縛り地蔵尊」が現在も残されています。

※伊達兵部宗勝…仙台藩初代藩主・伊達政宗の十男で、一関藩の藩主。

続いて三の丸広場に行ってみましょう。

三の丸広場

船岡城址公園 入口

▲この門が三の丸の目印

駐車場まで下り、さくらの里の先にあるのが「三の丸広場」です。柴田氏第7代当主・柴田宗僚は、居住するための屋敷をここに築造しました。

船岡城址公園 三の丸

門をくぐって中に入ると、とにかく広い! ところどころにあるのが小ステージや慰霊碑。一番奥のスペースには遊具もあり、子どもたちが遊べる公園となっています。

船岡城址公園 城中井戸

三の丸で使用していたという、城中井戸が残されていました。井戸を覆う石板には、柴田家の「右二つ巴」と伊達宗家の「丸に竪三つ引き両」の家紋が刻まれています。

 

公園内の散策はここまで。次に船岡城址公園から近い周辺スポットをご紹介しましょう。

 

 

船岡城址公園の基本情報

所在地:

〒989-1606 宮城県柴田郡柴田町大字船岡館山95-1

営業時間:

9:00~17:00

休業日:

月曜日

お問い合わせ:

柴田町観光物産交流館「さくらの里」

電話番号:

0224-87-7101

アクセス:

<電車>

JR東北本線「船岡駅」より徒歩約15分

<車>

東北自動車道 白石I.Cより約22分

駐車場:

無料/350台

 

船岡城址公園の周辺スポット

船岡城址公園から近いオススメのスポットを2つご紹介いたします。

① しばたの郷土館

しばたの郷土館

しばたの郷土館は、「ふるさと文化伝承館」「産業展示館」「茶室 如心庵(じょしんあん)」「資料展示館 思源閣(じげんかく)」という4つの施設と、図書館が併設しています。

柴田町の歴史や民族、産業などを詳しく紹介していますので、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

しばたの郷土館の基本情報

所在地:

〒989-1603 宮城県柴田郡柴田町船岡西1-6-26

営業時間:

9:00~16:30
休業日:

第1と第3月曜日

定休日が祝日の場合は営業

入場料:

資料展示館は無料

大人200円

アクセス:

船岡城址公園の麓の駐車場からすぐ

駐車場:

無料/100台

 

② 白鳥神社

柴田町 白鳥神社

「しばたの郷土館」から徒歩2分の場所にある白鳥神社。

 

江戸時代の元禄12年(1699)、船岡館主の柴田源四郎、藤原宗理が、柴田郡金ヶ瀬村(旧村)にある「大高山神社」の分霊を勧請し、創建したそうです。

以降、船岡領の領内総鎮守として歴代領主(柴田氏)から崇敬され庇護されていました。

 

ご祭神は日本武尊。左は伊達騒動で斬死した柴田外記朝意の胸像です。

 

白鳥神社の基本情報

所在地:

〒989-1603 宮城県柴田郡柴田町船岡西1-6-3

アクセス:

しばたの郷土館から徒歩2分

駐車場:

無料

船岡城の歴代城主をご紹介

船岡城址公園

船岡城の歴史は古く、城主も何代にも渡り受け継がれています。お城へ出かけられる前に、ぜひ歴代の城主について知っておきましょう。

芝田次郎 / 正治2年(1200)

日本の武家政権初の記録『吾妻鏡(あづまかがみ)』によると、正治2年(1200)に源頼家の命を受けた鎌倉幕府の使者※宮城四郎(みやぎの しろう)が、芝田次郎(しばた じろう)の芝田館を攻め落としたと記されています。

その後、天文年間までの詳細は明らかにされていません。

※宮城四郎…留守氏の祖で岩切城を築城した陸奥国留守職・伊沢家景(いさわ いえかげ)の弟で、またの名は宮城小四郎家業、宮城家業。

四保但馬定朝 /天文年間(1532~1555)

次は、四保但馬定朝氏(しのお たじま さだとも)。戦国時代に入ると柴田郡は伊達氏の支配下に置かれ、天文年間(1532~1555)伊達氏の家臣で、柴田家の祖でもある四保但馬定朝が居城します。

 

その後、2代目の四保但馬宗義の代に、四保氏から柴田氏へと改名。

※『風土記御用書出』によると、仙台藩2代藩主・伊達忠宗の命により四保が響悪敷(ひびきあしき)語源であり、「しのお」は「死のう」に通じることから舟岡の四保氏は柴田氏となったと記されているそうです。

※風土記御用書出…仙台藩が安永年間(1772~1781)に、村や知行所に提出させた資料で、村名の由来や人口、田畑の収穫高、名所や史跡、寺社、山や川などが記されている。

屋代景頼 /文禄2年(1593)

柴田氏が志田郡桑折町(現在の宮城県大崎市)に転封となり、伊達氏家臣の屋代景頼氏(やしろ かげより)が入城。

江戸時代の慶長年間(1596〜1615)は、二の丸に居住したと伝えられています。

原田宗資(はらだ むねすけ)/ 元和3年(1617)

原田宗資(はらだ むねすけ)は伊達氏の家臣・桑折宗長(こおり むねなが)の子。伊達政宗の命を受け原田氏を継ぎ、桑折氏から原田氏へと名を改めています。

 

牡鹿郡大瓜(現在の石巻市大瓜)の大瓜古館の領主でしたが、大坂夏の陣での軍功により、4,000石に加増され船岡城主となりました。

原田宗輔/元和9年(1623)

伊達騒動の主要人物、原田宗輔(はらだ むねすけ)。通称名の「原田甲斐(はらだ かい)」の方が馴染みがあるかもしれませんね。

 

原田宗資の長男で、父の死去によりわずか5歳で家督を継ぎ、原田家の第19代当主となります。

しかし、寛文11年(1671)の寛文事件(伊達騒動)で斬死。原田氏は改易(領地の没収)となり、原田家は責任を取る形で一家断絶となりました。

柴田宗意/ 天和元年(1681)

次は柴田宗意(しばた むねもと)氏。父の柴田朝意(しばた とももと/柴田外記)は寛文事件の主要人物であり、酒井家の騒動で死亡します。原田家に代わり5,000石を拝領し、再び柴田氏が柴田城に入城します。

柴田宗僚/元禄7年(1694)

柴田家第7代当主・柴田宗僚(しばた むねとも)の代では、三の丸に居屋敷を築造し居住。その後、柴田家は明治維新を迎えるまで約170年続きました。

柴田意広/明治元年(1868)

第14代当主・柴田意広(しばた もとひろ)の代に、柴田家の運命を変える「白鳥事件」が発生。

この事件は、船岡町の大沼にて領内の住民が神の使者として信仰している白鳥を、あろうことか新政府軍の芸州藩(広島藩)の兵士が鉄砲で撃ち殺していたのが発端です。

 

これに激怒した柴田家の藩士4人のうちの1人が、新政府軍の兵士に発砲。領主の意広は、発砲した家臣の責任を負い自害したといいます。

その後、柴田郡は一時南部藩領となり、のちに角田県となりました。

柴田意成/明治2年(1870)

北舟岡駅

出典:PIXTA(北舟岡駅)

船岡城最後の城主、柴田意成(しばた もとなり)。この頃は、明治維新で仙台藩は62万石から28万石に減封され、柴田家は没落。

柴田郡は南部藩領となり、柴田家は南部藩の農民になるか村を出るかの選択を迫られました。

 

そこで、意成は先に入植していた亘理伊達家に同行することを決意。家臣らとともに北海道の開拓使として、新たな新天地を求めたのです。

しかし、北海道へ移住するための費用は明治政府からの金銭支給は一切なく、柴田家中は私費を投じて移住しなければならず過酷なものでした。

 

北海道への移住は明治3年(1870)から始まり、入植地は現在の北海道伊達市舟岡町。近くには、JR北海道の室蘭本線「北舟岡駅」があります。

ここは、駅から目の前に広がる内浦湾が絶景でカメラマンの人気スポット。そう、この舟岡という地名は、意成の故郷である宮城県柴田郡の船岡が由来だったのです。

 

柴田氏一行が伊達市に開拓移住したことが由縁で、宮城県柴田町と北海道伊達市は昭和63年(1988)に歴史友好都市を締結しています。

激動の歴史を駆け抜けた船岡城址へ!

白石川 桜

現在は桜の名所となり、春は華やかな雰囲気に包まれる船岡城址公園。史料も少なく謎の多い城ですが、伊達氏や仙台藩にとって、領地を守る重要な要であったことは確かでしょう。

ぜひ『樅ノ木は残った』を読んだ後に、船岡城址公園へ足を運んでみてください。

宮城のお城めぐりシリーズ

船岡城址公園 スロープカー
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stingray
stingray

札幌出身で趣味はギター。前職の転勤で仙台に移り住み、気が付いたらもう30年になります。仙台は海の幸や山の幸も美味しく、とても暮らしやすい所です。そんな仙台の魅力や地元ならではの情報をお届け致します。