芝田次郎 / 正治2年(1200)

日本の武家政権初の記録『吾妻鏡(あづまかがみ)』によると、正治2年(1200)に源頼家の命を受けた鎌倉幕府の使者※宮城四郎(みやぎの しろう)が、芝田次郎(しばた じろう)の芝田館を攻め落としたと記されています。

その後、天文年間までの詳細は明らかにされていません。

※宮城四郎…留守氏の祖で岩切城を築城した陸奥国留守職・伊沢家景(いさわ いえかげ)の弟で、またの名は宮城小四郎家業、宮城家業。

四保但馬定朝 /天文年間(1532~1555)

次は、四保但馬定朝氏(しのお たじま さだとも)。戦国時代に入ると柴田郡は伊達氏の支配下に置かれ、天文年間(1532~1555)伊達氏の家臣で、柴田家の祖でもある四保但馬定朝が居城します。

 

その後、2代目の四保但馬宗義の代に、四保氏から柴田氏へと改名。

※『風土記御用書出』によると、仙台藩2代藩主・伊達忠宗の命により四保が響悪敷(ひびきあしき)語源であり、「しのお」は「死のう」に通じることから舟岡の四保氏は柴田氏となったと記されているそうです。

※風土記御用書出…仙台藩が安永年間(1772~1781)に、村や知行所に提出させた資料で、村名の由来や人口、田畑の収穫高、名所や史跡、寺社、山や川などが記されている。

屋代景頼 /文禄2年(1593)

柴田氏が志田郡桑折町(現在の宮城県大崎市)に転封となり、伊達氏家臣の屋代景頼氏(やしろ かげより)が入城。

江戸時代の慶長年間(1596〜1615)は、二の丸に居住したと伝えられています。

原田宗資(はらだ むねすけ)/ 元和3年(1617)

原田宗資(はらだ むねすけ)は伊達氏の家臣・桑折宗長(こおり むねなが)の子。伊達政宗の命を受け原田氏を継ぎ、桑折氏から原田氏へと名を改めています。

 

牡鹿郡大瓜(現在の石巻市大瓜)の大瓜古館の領主でしたが、大坂夏の陣での軍功により、4,000石に加増され船岡城主となりました。

原田宗輔/元和9年(1623)

伊達騒動の主要人物、原田宗輔(はらだ むねすけ)。通称名の「原田甲斐(はらだ かい)」の方が馴染みがあるかもしれませんね。

 

原田宗資の長男で、父の死去によりわずか5歳で家督を継ぎ、原田家の第19代当主となります。

しかし、寛文11年(1671)の寛文事件(伊達騒動)で斬死。原田氏は改易(領地の没収)となり、原田家は責任を取る形で一家断絶となりました。

柴田宗意/ 天和元年(1681)

次は柴田宗意(しばた むねもと)氏。父の柴田朝意(しばた とももと/柴田外記)は寛文事件の主要人物であり、酒井家の騒動で死亡します。原田家に代わり5,000石を拝領し、再び柴田氏が柴田城に入城します。

柴田宗僚/元禄7年(1694)

柴田家第7代当主・柴田宗僚(しばた むねとも)の代では、三の丸に居屋敷を築造し居住。その後、柴田家は明治維新を迎えるまで約170年続きました。

柴田意広/明治元年(1868)

第14代当主・柴田意広(しばた もとひろ)の代に、柴田家の運命を変える「白鳥事件」が発生。

この事件は、船岡町の大沼にて領内の住民が神の使者として信仰している白鳥を、あろうことか新政府軍の芸州藩(広島藩)の兵士が鉄砲で撃ち殺していたのが発端です。

 

これに激怒した柴田家の藩士4人のうちの1人が、新政府軍の兵士に発砲。領主の意広は、発砲した家臣の責任を負い自害したといいます。

その後、柴田郡は一時南部藩領となり、のちに角田県となりました。

柴田意成/明治2年(1870)

北舟岡駅

出典:PIXTA(北舟岡駅)

船岡城最後の城主、柴田意成(しばた もとなり)。この頃は、明治維新で仙台藩は62万石から28万石に減封され、柴田家は没落。

柴田郡は南部藩領となり、柴田家は南部藩の農民になるか村を出るかの選択を迫られました。

 

そこで、意成は先に入植していた亘理伊達家に同行することを決意。家臣らとともに北海道の開拓使として、新たな新天地を求めたのです。

しかし、北海道へ移住するための費用は明治政府からの金銭支給は一切なく、柴田家中は私費を投じて移住しなければならず過酷なものでした。

 

北海道への移住は明治3年(1870)から始まり、入植地は現在の北海道伊達市舟岡町。近くには、JR北海道の室蘭本線「北舟岡駅」があります。

ここは、駅から目の前に広がる内浦湾が絶景でカメラマンの人気スポット。そう、この舟岡という地名は、意成の故郷である宮城県柴田郡の船岡が由来だったのです。

 

柴田氏一行が伊達市に開拓移住したことが由縁で、宮城県柴田町と北海道伊達市は昭和63年(1988)に歴史友好都市を締結しています。

激動の歴史を駆け抜けた船岡城址へ!

白石川 桜

現在は桜の名所となり、春は華やかな雰囲気に包まれる船岡城址公園。史料も少なく謎の多い城ですが、伊達氏や仙台藩にとって、領地を守る重要な要であったことは確かでしょう。

ぜひ『樅ノ木は残った』を読んだ後に、船岡城址公園へ足を運んでみてください。

宮城のお城めぐりシリーズ

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