宮城のお城を巡ろう!
宮城県のお城といえば、戦国時代末期に伊達政宗公が築いた「仙台城(青葉城)」が真っ先に頭に浮かびませんか?
しかしあまりにも仙台城が有名すぎるせいか、ほかのお城はほとんど知られていません。この記事では、宮城県内にある様々なお城を【県南】【仙台】【県北】という3つのエリアに分けて紹介します。
\お城が好きな方へ/
県南エリアのお城
仙台市より南のエリアにあるお城を紹介します。
①白石城(白石市)
白石城(しろいしじょう)は、白石市の中心部に築かれた平山城(平野にある丘陵に築かれた城)です。
関ヶ原の戦い後から明治維新までの約260年間、伊達家の重臣・片倉氏の居城となりました。片倉氏といえば、伊達政宗公の右腕で知られる片倉景綱(片倉小十郎)が有名です。
1874年(明治7)に城は解体されましたが、文献資料や発掘調査をもとに復元計画が実施され、1995年(平成7)に白石城が再建されました。
入館料を払えば内部を見学できます。とくに3階の天守から望む城下の町並みは必見です! 詳細は、ぜひ下記記事をみてください。
販売場所:白石城歴史探訪ミュージアム
営業時間:9:00~17:00(11月~3月は16:00まで)※年末年始休館
料金:300円
住所:
宮城県白石市益岡町1-16(益岡公園内)
営業時間:
(4月~10月)9:00~17:00
(11月~3月)9:00~16:00
※休館日12月28日~12月31日
アクセス:
【公共交通の場合】
・JR東北本線「白石」駅より徒歩約15分
・JR東北新幹線「白石蔵王」駅よりタクシーで約5分
【クルマの場合】
東北道「白石」ICより約10分
駐車場:
・城下広場駐車場…無料、81台
・益岡公園駐車場…無料、210台
②船岡城(柴田郡柴田町)
現在は船岡城址公園として開放されており、「さくら名所100選」にも選ばれている、県屈指の桜名所です。
1970年(昭和45)NHK大河ドラマで放映された『樅の木は残った』の主人公、伊達家の家臣・原田甲斐(はらだ かい)の居城でした。しかし伊達家のお家騒動(寛文事件)後、原田氏は改易となり、代わりに柴田氏が入城、明治維新まで居城としました。
城郭を偲ばせる建造物は残されていませんが、土塁の一部や古井戸などを見ることができます。また本丸跡の山頂からのぞむ蔵王連峰、白石川と千本の桜並木は絶景です!
詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
営業時間:9:00〜17:00(月曜の休館、祝日の場合は翌日)
料金:300円
住所:
宮城県柴田郡柴田町大字船岡館山95-1
アクセス:
【公共交通の場合】
JR東北本線「船岡」駅より徒歩約15分
【クルマの場合】
東北道「白石」もしくは「村田」ICより約20分
駐車場:
無料、350台(桜まつり期間中は有料)
③上楯城(柴田郡川崎町)
上楯城(かみたてじょう)は、伊達家の家臣・支倉常長(はせくら つねなが)が幼少から青年期にかけて居城したお城です。戦国時代の1545年(天文14)に、常長公の養祖父・支倉常正(はせくら つねまさ)によって築城されたと考えられています。
空堀、曲輪などが残されているほか、麓には常長公の菩提寺の「圓福寺(えんぷくじ)」があります
常長公は、主君・伊達政宗公の命を受け、貿易交渉のためにヨーロッパへ渡った慶長遣欧使節のリーダー。スペイン国王やローマ教皇と謁見し、7年の旅路を経て無事帰国を果たします。
石巻市に慶長遣欧使節ミュージアム「サン・ファン館」もあるので、併せて訪ねてみてください。
営業時間:10:00~18:00(冬季 10:00~17:00)
料金:300円
住所:
宮城県柴田郡川崎町大字支倉字舘山
アクセス:
【公共交通の場合】
J仙台駅前からタケヤ交通の西部ライナー「かわさきまち行」に乗車(約78分)-「かわさきまち」下車‐川崎町役場からタクシーで約14分
【クルマの場合】
東北道「村田」ICより約15分
駐車場:
無料/約15台
④川崎城(柴田郡川崎町)
先ほど紹介した上楯城から、車で15分ほどの場所にある「川崎城(かわさきじょう)」。1608年(慶長13)に伊達家家臣・砂金実常(いさご さねつね)によって築城されたといわれています。
川崎城は、山形の最上領に対する最前線に位置していました。そのため砂川氏が断絶した後には、伊達一門を配し知行二千石を与えるほど、歴代藩主は川崎城を重要視していたと考えられています。
しかし築城後、江戸幕府から一国一城令が発令され、仙台藩を守る要害(川崎要害)の一つとなります。
現在は城山公園として整備され、わずかな土塁や空堀の痕跡が一部が残されているのみ。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
所在地:
宮城県柴田郡川崎町前川舘山
アクセス:
【公共交通の場合】
仙台駅前からタケヤ交通の西部ライナー「かわさきまち」行きに乗車(約78分)-「かわさきまち」下車‐徒歩約5分
【クルマの場合】
東北道「村田」ICより約15分
駐車場:
無料/約30台
仙台エリアのお城
宮城県の県庁所在地、仙台市にあるお城を紹介します。
① 仙台城・青葉城(仙台市青葉区)
言わずも知れた「仙台城」は、関ヶ原合戦後に伊達政宗公によって築城されました。断崖と深い森に囲まれた天然の要害で、青葉山に築かれたことから「青葉城」とも呼ばれています。
幕末までの260年余は、藩主・伊達家の居城であり、仙台藩の政庁として機能していました。
しかし明治維新を迎え、建築物は解体。遺構として残されていた大手門、脇櫓、巽門は、空襲により焼失し、仙台城跡に現存する建築物はありません。唯一復元された建造物として「大手門脇櫓」があります。
城跡一帯は青葉山公園として整備されており、仙伊達政宗公の騎馬像が立つ観光名所となっています。本丸跡からは、仙台市市街地や太平洋を一望でき、夜景も素晴らしいビュースポット!
また宮城縣護國神社や、仙台城や伊達系に関する資料を展示する「青葉城資料展示館」があり、VR(仮想現実)で仙台城の内部を再現した「仙台城VRゴー」も人気です。
遺構としては、石垣、土塁の一部が残されています。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
販売場所:青葉城本丸会館(仙台城本丸跡)
営業時間: 9:00~17:00(12月~3月は16:00まで)
料金:300円
所在地:
宮城県仙台市青葉区天守台青葉城址
アクセス:
【公共交通の場合】
・JR「仙台」駅西口バスターミナル16番のりばよりるーぷる仙台に乗車(約23分)-「仙台城跡」前下車すぐ
・仙台市地下鉄東西線「国際センター」駅西1出口より、徒歩約15分
【クルマの場合】
・東北道「宮城」ICより約15分
・JR「仙台」駅より約20分
駐車場:
有料/150台
② 若林城(仙台市若林区)
伊達政宗公の“第2の城”とも囁かれた「若林城(わかばやしじょう)」。1625~8年(寛永4~5)に築かれ、工事には政宗公自らが指揮を執ったといわれています。
幕府には「屋敷」として建造の許可を得ていましたが、城の周囲には高い土塁と水堀がめぐらされ、城郭としての機能を持っていました。
さらに城周辺には、家臣や町人が住む屋敷、町奉行も配置され、城下町が広がっていたのではないかと推測されています。
政宗公は晩年を若林城で過ごし、1636年(寛永13)に江戸城下の藩邸で亡くなります。政宗公の遺言に従い、場内の建物は仙台城二の丸に移築され、若林城は廃城。
現在は「宮城刑務所」となっており、入城することはできません。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
所在地:
宮城県仙台市若林区古城2-3
アクセス:
【公共交通の場合】
仙台駅前西口バスプール5番または6番のりばより仙台市営バス「薬師堂駅」または「市営バス霞の目営業所」行きに乗車(約17分)-「南小泉四丁目東」下車-徒歩すぐ
【クルマの場合】
仙台駅-県道235号-若林城跡(約13分)
駐車場:
なし
③ 岩切城(仙台市宮城野区)
「岩切城(いわきりじょう)」は仙台市の中心部から少し離れた、高森山に築かれた山城です。現在の利府~多賀城辺りを治めていた留守氏が築城したと考えられています。
南北朝時代に起こった岩切城合戦で知られ、100以上の死者を出した古戦場でもあります。
戦国時代後半には伊達氏の所領となり、伊達政宗公の叔父・伊達政景公が城主となります。しかし元亀年間に、政景公は居城を利府城へと移し、岩切城は廃城となりました。
現在は県民の森の一角を占める、高森山公園として整備されていますが、曲輪、堀切、土塁といった遺構が見られます。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
なし
所在地:
宮城県仙台市宮城野区岩切字入山
アクセス:
【公共交通の場合】
JR「仙台」駅からJR東北本線「小牛田」行きに乗車(約8分)-「岩切駅」下車-仙台市営バス「交通局東北大学病院前」行きに乗車(約4分)-「今市橋」下車-徒歩約20分
【クルマの場合】
仙台東部道路「仙台東」ICより約10分
駐車場:
無料、5台
④ 北目城(仙台市太白区)
北目城(きためじょう)は、16世紀後半まで粟野氏の居城でした。しかしその後、粟野氏は伊達氏に服属し、東山大原(現在の岩手県一関市)へ移封を命じられます。粟野氏の後継は、政宗公の側近・屋代景頼(やしろ かげより)が北目城の城主を務めました。
1600年。関ヶ原合戦が迫る緊迫した状況下で、仙台城を築城するのではなく、北目城を改築して本拠地としたらどうか、という案も浮上したようです。しかし時間がかかるため、その案は却下されたとか。
その後関ヶ原合戦がはじまると、政宗公は居城だった「岩出山城」には戻らず、北目城に居城。上杉勢と対立する拠点としたといわれています。
現在は住宅や商業施設が立ち並び、城郭の面影はありません。目印として、写真の標識と説明案内板が設置されています。詳細はぜひ下記記事をみてください!
住所:
宮城県仙台市太白区郡山4
アクセス:
【公共交通の場合】
・JR東北本線「長町駅」より徒歩約20分
・JR仙台駅前西口バスプール8番のりばより宮城交通バス・飯田団地線「飯田団地」行きに乗車(約16分)-「郡山四丁目・八本松小学校前」下車-徒歩約3分
【クルマの場合】
仙台南部道路「長町」ICより約4分
駐車場:
なし
⑤ 利府城(宮城郡利府町)
鎌倉時代に留守氏の家臣・村岡氏によって築城されたと考えられており、当時は「村岡城」と呼ばれていたようです。
しかし戦国時代後半の1569年(永禄12)、「岩切城」でも触れた留守政景(伊達政景)を養子に迎えたことで、留守氏内部で分裂が起こります。養子に反対した村岡氏は「村岡城」に籠城したものの、留守政景に攻められ落城。村岡氏は滅亡しました。
その後、政景公は「岩切城」から村岡城に居城を移し、「利府城(りふじょう)」と名を改めます。
しかし1590年(天正18)の小田原合戦に参戦しなかった留守氏は、豊臣秀吉による奥州仕置で改易となり、利府城は廃城となりました。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
現在は館山公園として整備されており、はっきりとわかる遺構は残されていません。石碑や案内板が設置されているほか、切岸や平段が見られます。
住所:
宮城県宮城郡利府町利府城内
アクセス:
【公共交通の場合】
JR東北本線「利府駅」より徒歩約15分
【クルマの場合】
三陸道「利府中」ICより約10分
駐車場:
無料、3か所あり(62台)
県北エリアのお城
① 岩出山城(大崎市)
もともとは「岩手沢城」と呼ばれ、大崎氏の重臣・氏家氏の居城でした。しかし豊臣秀吉が天下を取り、奥州仕置により大崎氏は滅亡します。
ほどなくして1590年(天正18)に葛西・大崎一揆が起こると、秀吉の命を受けて伊達政宗公が出陣。鎮圧に貢献したものの、一揆への関与を疑われ、結果無罪とされましたが旧葛西・大崎領へ移封されることになります。
移封に先立ち、奥州の検地を行っていた徳川家康が、岩手沢城の縄張りや修復・整備を行った後、政宗公に引き渡したといわれています。名を「岩出山」を改め、仙台城が築城されるまでの12年間、政宗公の居城になりました。
現在は城山公園として整備されており、園内には白い伊達政宗公の立像や、岩出山伊達の子弟が過ごした学び舎「旧有備館」があります。
見られる遺構としては、曲輪跡、大空堀、石垣、土塁、堀切などが残されています。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
販売場所:
サラダ館大崎岩出山店、花山太右衛門商店
営業時間:10:00~18:00、8:30~17:00(火曜定休)
料金:300円
住所:
宮城県大崎市岩出山字城山42-2
アクセス:
【公共交通の場合】
JR陸羽東線「有備館駅」より徒歩約13分
【クルマの場合】
東北道「古川」ICより約15分
駐車場:
無料、20台
② 涌谷城(遠田郡涌谷町)
伊達家家臣・亘理(わたり)氏の居城で知られる「涌谷城(わくやじょう)」。
戦国時代までは、伊達氏と並ぶ勢力を誇った奥州の大名・大崎氏の家臣である涌谷氏が所有していました。しかし豊臣秀吉が天下統一を果たしたことで、大名としての大崎氏は滅亡。涌谷城は秀吉の家臣・木村氏の手に渡ります。
ですが後に、木村氏に不満を抱いた領民らが大規模な一揆を起こし、これを鎮めた伊達氏の領地となります。
お城は明治維新までありましたが、新政府により石垣と隅櫓(太鼓堂)を残して、取り壊されてしまいました。
現在は城山公園として整備され、桜の名所として有名です。場内には県内唯一の城郭遺構「隅櫓(太鼓堂)」が現存しています。写真にある天守閣風の建物は「涌谷町立史料館」で、涌谷伊達氏(亘理氏)ゆかりの文化財などが収蔵されています。
なし
所在地:
宮城県遠田郡涌谷町涌谷下町
アクセス:
【公共交通の場合】
JR石巻線「涌谷駅」より徒歩約10分
【クルマの場合】
東北道「古川」ICより約35分
駐車場:
無料/約30台
※桜まつり期間は、駐車場台数拡大
宮城県には、伊達家ゆかりのお城が多い!
戦国時代に入りじわじわと頭角を現し、中世からこの地に勢力を誇っていた名族を続々と支配下に置き、奥州の戦国大名として名を馳せた伊達氏。
そんな伊達氏ゆかりのお城が、宮城にはいたるところに点在しています。
この記事で紹介しているのは、まだほんの一部に過ぎません。ぜひ宮城で城めぐり、して見ませんか?