伊達政宗の愛馬「五島」にまつわる2つの神社を巡りました
伊達政宗が戦の度に乗用した愛馬・五島。今回はこの五島にまつわる2つの神社を訪ねてみました。
その2つの神社とは、一体どんなところなのでしょうか。現在の姿や境内の様子などを紹介します。
伊達政宗の愛馬「五島」とは?
仙台城跡に建つ仙台のシンボル「伊達政宗騎馬像」。この馬の名前をご存じでしょうか?
その名も「五島(ごとう)」と言い、政宗の愛馬でした。五島号、後藤黒、五島黒とも呼ばれていたようです。
五島を政宗に献上したのは、伊達21要害のひとつ不動堂要害(旧小牛田町)の城主だった伊達氏家臣・後藤信康(ごとう のぶやす)。
五島は黒い毛並みが美しい馬で、政宗は戦の度に乗用し、五島をこのうえなく気に入っていました。「馬首が向かうところ戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取る」と言われたとか。
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もうお役に立てないのなら…
1614年(慶長19)大坂冬の陣の際、政宗は老齢になっていた五島を厩舎に置いて出陣します。五島は「もうお役に立てないのなら……」と厩舎を抜け出し、本丸の崖から身を投じて亡くなったと伝えられています。
政宗は、このことにとても心を痛め、飛び降りた蠣崎(かきざき)の地に五島を手厚く葬りました。そして、馬上蠣崎神社を建立して祀り、追廻馬場の守護としたそうです。
では、さっそく五島が飛び降りたとされる蠣崎の地に行ってみましょう。
五島の没地「蠣崎稲荷大明神」へ
「蠣崎稲荷大明神(かきざきいなりだいみょうじん)」へ行くには、仙台市営地下鉄東西線「国際センター」駅下車し、国際センターの向かい側にあるこのパネルを長沼方向に進みます。
角に片倉小十郎屋敷跡がある通りです。
約5分ほど歩くと、左手にこの青葉山公園テニスコートの建物があるので、目印にしてください。蠣崎稲荷大明神はこの向かい側にあります。
大正時代初期の地図を見ると、この追廻地区一帯には旧陸軍の射撃場や馬場などの練兵場があったようです。
建物の向かい側を進んで行くと、蠣崎稲荷大明神の鳥居が見えてきました。そのまま真っすぐ行ってみましょう。