平家の落人伝説が残る「定義如来 西方寺」
仙台市だけど、大自然山の中にある!
今回ご紹介する「定義如来 西方寺(じょうげにょらい さいほうじ)」は、仙台市街から山形方面へ車でおよそ1時間。
ビルや近代的な建物が並ぶ駅前とはうって変わり、緑豊かな田舎風景が車窓に広がります。
途中通過する「大倉ダム」は、ダブルアーチ式という全国に2ヶ所しかない珍しい形式をしたダムで、マニアにはたまらないスポット。
西方寺はそんな大倉ダムに注ぐ大倉川の上流、奥深い山の中にあります。
“平家の落人”が辿り着いた、最後の地
西方寺は古くから庶民に親しまれてきたお寺で、正式名称で呼ばれることは稀なんだそう。
地元民からは「定義(じょうぎ・じょうげ)さん」と呼ばれています。
西方寺のご本尊は、”阿弥陀如来様のお掛け軸”。
平安時代末期に武将・平重盛公(平清盛の嫡男)の祈願によって日本にもたらされた、由緒正しい秘仏です。
なぜ阿弥陀如来様のお掛け軸が西方寺にあるのか? それは西方寺の起源、”平家の落人”に大きく関わります。
西方寺の歴史をざっくり説明
今からおよそ800年前、1185年(元暦2年=寿永4年)に起こった「壇ノ浦(だんのうら)の戦い」で、源氏に敗れた平家。
平家の重臣であった平貞能公(たいらのさだよし)は、主の平重盛公から託された”阿弥陀如来のお掛け軸”を守りながら、源氏の追討から逃れるため、各地を転々とします。
そして最後にたどり着いたのが、現在西方寺が建つ地だったのです。
源氏の追手から逃れ、秘仏を守りぬいた貞能公
貞能公は生涯最後の地と定め、名を定義(じょうぎ)と改め隠れ住みました。
建久9年(1198)60年の生涯を閉じると、貞能公の遺言で従臣らは墓上に小さなお堂を建て、阿弥陀如来を祀りました。これが西方寺の起源とされています。
定義如来 西方寺の見どころを紹介!
境内はこんな感じになっています。今回はマップ左にある「山門」からスタート!