多賀城政庁 南門前
アイキャッチ画像出典:PIXTA
記事中画像:撮影:編集部

多賀城は、古代東北支配の拠点だった

多賀城跡 入口

奈良~平安時代。大和政権による東北支配の重要拠点として創建された「多賀城(たがじょう)」。

現在は奈良県の「平城京」、福岡県の「太宰府」とともに”日本三大史跡”に数えられ、国の特別史跡として保存されています。

 

かつて多賀城があったのは、陸奥国(むつのくに)と呼ばれる行政区分(現在の都道府県のようなもの)で、現在の東北地方の太平洋側(福島県・宮城県・岩手県・青森県・秋田県の鹿角郡)にあたります。

多賀城をつくった大和政権の意図

多賀城跡 広場

当時の陸奥国内には、先住民の蝦夷が暮らしており、中央の大和政権の支配下に属さない領域でした。

蝦夷を従わせ、東北地方を完全な支配下に置きたかった大和政権は、に侵略の拠点として724年に「多賀城」を建設します。

 

そもそもなぜ、大和政権は蝦夷を支配下に置きたかったのでしょうか?

なぜ8世紀というタイミングで多賀城を建設し、蝦夷支配に力を入れだしたのか。

その理由を知るためには、当時日本の中心だった大和政権の情勢について知っておく必要があります。

 

大河にもなった歴史小説で、多賀城の歴史を振り返る

炎立つ 壱 北の埋み火 (講談社文庫) [ 高橋 克彦 ]

筆者:高橋 克彦
出版社:講談社
発行年月:1995年09月15日
ページ数:376p
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