知っていると登山が楽しくなる!「太白山の伝説」

もともとは「ウトガ森」と呼ばれていた?

太白山が誕生したのは、富士山と同時期である約800万年~500万年前。

マグマの活動によって形成されたと考えられています。

 

もともとの山名は「ウドガモリ」や「オドガモリ」と呼ばれており、江戸時代の絵図では「ウトガ森」と記されていたようです。

太白山の山容は沖合いからも確認できるため、江戸時代には千石船が航海時の目印の1つとしていました。

「太白山」は金星が関係している!

金星

では「ウドガモリ」から、なぜ「太白山」という名称になったのでしょうか?

それは、宮城県の「太白山県自然環境保全地域学術調査書」に詳しく書かれていました。

 

資料によると、太白山というのは日本固有の山名ではなく、”宵の明星(よいのみょうじょう)”といわれる金星をさす中国名だそうです。

 

中国にも全く同じ名前の「太白山」が存在します。西安(唐代の都・長安)からみると金星(太白星)がちょうど太白山の山上で輝き、また沈む位置であることから命名されたそうです。

じつは仙台の太白山も、仙台城から眺めると山上に金星(太白星)が輝き、また沈む位置にそびえています。

 

そのことに気が付いた仙台藩の儒学者は、「太白星、地に墜ちてこの山となる」と言い「オドガモリ」を「太白山」と名付けました。

金星が輝き沈む山、と聞くとなんだかロマンティックですね~。

 

続いては、「ディスカバーたいはく」で紹介されていた、太白山にまつわる伝説をご紹介します。

オトアの伝説

昔、太白山のあたりは広い野原だったそうです。その村にオトアという美しい娘が住んでいました。

ある晩にオトアが夜中に起きたところ、ゴーッという地鳴りのような音が聞こえてきます。

驚いたオトアは不思議に思い音のする方をみると、目の前で大きな石や黒い土のかたまりがムクムクと盛り上がっているではありませんか。

 

大きな石や黒い土のかたまりはどんどん盛り上がり、小さな山からだんだん大きな山になっていました。

オトアは驚き思わず「あんれぇー、とんがった山になっていくー」と、大きな声を発します。

美しいオトアの声にびっくりした山は、恥ずかしくなったのか盛り上がっていくのをぴたっとやめてしまいました。

 

これを聞いた村人たちは「もしもオトアにみられなかったら、富士山よりもっともっと高い山になったのに」と残念がったそうです。このことから、太白山は一晩のうちに生い出たので「生出が森」と呼ばれるようになりました。

また娘の名にちなんで「オトア森」ともいわれています。

生出が森とウドの大木

昔、生出が森にウドの大木が茂っていました。この大木はとても大きく、枝葉が四里四方に広がっています。

これによって麓の村々では、お天道様の光が当たらず田畑の作物は実らなくなってしまいました。困った村人は相談し合い、このウドの大木を切り倒すことにします。

 

大勢の村人が斧を手に大木を切り倒そうとしましたが、夕方になっても切り倒すことができません。翌日に切り倒すことにして、その日は解散します。

しかし明朝、思いもよらぬ光景に出会いました。なんと昨日切った大木の切り屑が集まり、一晩ですっかり元通りになっていたのです。切ったはずの木屑は1つも落ちていませんでした。

村人らは再び斧を手にとりましたが、その日も切り倒すことができません。次の日も、そのまた次の日も……何度繰り返しても切り倒せないのです。

困った村人らは、村の長老に尋ねます。「独活は神様の化身だから、生出が森の天辺に貴船神社を祀ればよい」と教えられ、京都から貴船明神の分霊を移して祀りました。そして村人は3昼夜祈願し、やっとウドの大木を切り倒せたといいます。

 

その時、ウドの幹が南側を流れている名取川の水底に沈み、埋もれ木になったそうです。村人は生出が森の麓に、切り倒したウドの大木の精を慰めるために「大木山雲道寺」を建てて供養しました。

その寺は現在ありませんが、山頂にある石宮は貴船神社の祠です。

 

その後、源頼朝が奥州藤原氏最後の当主・藤原泰衡(ふじわらのやすひら)を攻め滅ぼすため、源氏の守護神である鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を移しました。

さらに頼朝は、自分の兜の連花座に飾っていた源氏の氏神正八幡の神像を作らせ、その御神体を生出が森の山頂に祀ります。これが生出森八幡神社です。

 

ところが山は怒り狂い、悪天候が続くようになります。農作物は不作になり、村人たちは途方に暮れます。

村人たちは口々に「これはきっと、貴船神社の祟りだ。先に祀った神様を粗末にしたからだ」というようになりました。

 

そこで山頂にあった八幡神社の祠を生出が森の山腹に移し祀ったところ、これまでの悪い天候が嘘のように治まったそうです。

太白山の大男

昔、太白山に大男が住んでいました。

いつも山のてっぺんにある敷石という大きな岩に腰をかけ、右足は1里ほど南東にある名取の吉田地区の田園の中におろし、左足は海岸に近い部落におろして海から魚や貝を取って食べていました。

 

食べた貝殻は茂庭の岩の川に捨てていたので、今でも貝塚のような厚い層になっているそうです。

 

時々、大男は大きな足で麓の村におりてきますが、首は雲の上に突き出しているので、村人たちには顔が見えません。

ただ太い2本の柱がノッシノッシと歩いてくるのをみるだけだったといいます。

 

大男の性格は優しく、麓の村人が田畑の仕事で忙しい時にはよく手伝いをしてくれたそうです。

太白山の南東を流れている洗沢は、大男が汚れた手足を洗ったところだと伝えられています。

 

名取の吉田地区には、大男の右足の跡だという長さ3尺ほどの足跡のついた石が田園の中に残っているそうです。

メッコ(片目)の神様

ウドガ森の神様は、片目(メッコ)だったという話があります。山の中を歩いていた神様は、誤ってウドの枯れ茎で目をつついてしまい、片目が見えなくなったからだそうです。

この話から麓では「ウドを食べてはいけない」とされ、畑にもウドはつくっていません。神様と同じようにウドの枯れ茎で片目になることを恐れたのか、あるいは神様を敬ってそのようにしたのかも知れません。

 

また一説には、ウドは神様の化身だから食べたり畑に植えたりしてはダメといわれているんだとか。

太白山のイチオシは紅葉シーズン!

太白山 紅葉

四季折々の風景が楽しめる太白山。今回の登山はちょうど紅葉シーズンでした。至るところでみられる鮮やかな紅葉や落ち葉のじゅうたんがとても美しく、登山の疲れも吹き飛びます。

太白山への登山に重装備は不要ですが、靴は履きなれたスニーカーがオススメです。また、山の天気は変わりやすいので天気予報は要チェックです。

 

それとすれ違う登山者は、皆さん熊除けの鈴を付けていました。熊が出没したという情報が出ていますので熊対策もお忘れなく。

四季を通じて美しい彩りをみせる太白山ですが紅葉シーズンは格別です。あなたも一度登頂にチャレンジしてみては、いかがでしょうか。

 

登山後は秋保温泉に1泊しない?

太白山の登山は、大体2時間半以上かかります。山道、岩場も歩き、足にもそれなりの疲労が溜まるでしょう。

そこでオススメなのが、太白山から車で25分ほどの場所にある秋保温泉。

奥州三大名湯の一つで、伊達政宗公にゆかりのある名湯です。湯量が豊富のため、源泉かけ流しのお風呂を楽しめる宿もあります。ぜひチェックしてみてくださいね!

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