仙台七坂をめぐろう!後編
江戸時代の藩政時代からある、仙台を代表する七つの坂「仙台七坂」。
仙台城から近い順に紹介しています。
「前編」では、
① 扇坂(おうぎざか)
② 大坂(おおさか)
③ 藤ヶ坂(ふじがさか)
④ 新坂(にいざか)
をめぐりました。
「後編」では、
⑤ 元貞坂(げんていざか)
⑥ 茂市ヶ坂(もいちがさか)
⑦ 石名坂( いしなざか)
をご紹介いたします。
⑤「元貞坂」へは、NHK仙台放送局に向かおう
「元貞坂(げんていざか)」は、青葉区本町の定禅寺通にある「NHK仙台放送局」から南に下りた所にあります。
辻標などがないため、少しわかりにくかもしれません。
住所だと本町2丁目19~本町2丁目13にいたるところで、Googleマップでみる元貞坂はS字になっています。
元貞坂の由来
「亀岡八幡(かめおかはちまんぐう)」が※元寺小路にあった藩政時代、その西側には別当寺の「亀岡山積宝寺千手院」がありました。
元貞坂はその門前の通り跡とされています。
現在の本町一丁目、二丁目、中央一丁目、中央二丁目、花京院一丁目。仙台城の鬼門にあたり、藩政時代には町を守る防衛線として「定禅寺(現在の勾当台公園)」や「満勝寺」といった寺院が建ち並び、「寺小路」と呼ばれた。
その後、寺の一部が移されたことで「元寺小路」という名称になる。
元貞坂という名前は、近くに住んでいた信夫元貞(しのぶ げんてい)という医者から名付けられたそうです。
佐々久氏の著書『仙台あちらこちら』によると、元貞は仙台藩の藩医で、天保7年(1836)の大飢饉の際に、数百人を救ったとされています。
藩は功績を賞し、人々は彼の徳を後世に伝えようと「元貞坂」と呼んだのではないか、と考えられています。
いつから「元貞坂」という名称になったのか、定かではありません。
下の地図(仙台地図さんぽ「仙台市地図 大正元年初版)では「玄定坂」と記されています。
元貞坂にあった建物
現在、元貞坂に建つNHK仙台放送局には、明治17~44年(1884~1911)まで宮城病院(現在の東北大学病院)がありました。
明治時代の元貞坂は、宮城病院の敷地と東三番丁通りを結ぶ坂として利用されていたようです。
その後、宮城病院は北八番丁に移転。跡地には「東本願寺分院」が建立されますが、昭和20年(1945)の仙台空襲で焼失。
戦後、昭和8年(1933)には「斎藤報恩会博物館」がオープンしますが、昭和48年(1973)に解体されます。
そして2018年にNHK仙台放送局が移転し、現在に至ります。
元貞坂を歩いてみる
東三番丁通り(青葉区本町2丁目13の笹森医院付近)のこの交差点を右に曲がります。遠く正面にみえるのは宮城県庁です。
正面の白とグレーの建物は、NHK仙台放送局。森林がみえるところは錦町公園です。
この公園には、平成10年(1998)まで「仙台市レジャーセンター」という施設がありました。
公園にはレジャーセンター時代に設置されていたレリーフが、今も残されています。
このレリーフの作者は柳原義達(やなぎはら よしたつ)氏。岩出山城にある伊達政宗平和像の作者です。
写真は、NHK仙台放送局側のカーブからみた元貞坂。勾配はゆるやかで、それほど急な坂ではありません。
所在地:
〒980-0014 仙台市青葉区本町2-19付近
アクセス:
<電車>
仙台市地下鉄南北線「勾当台公園駅」から徒歩約3分
<車>
東北自動車道「仙台宮城I.C」から約12分
駐車場:
なし(近隣の有料駐車場をご利用ください)