「白石城」の歴史と魅力をサクッと解説!

2020/05/15 更新

宮城県白石市にある白石城(しろいしじょう)。仙台藩初代藩主・伊達政宗の右腕といわれた片倉小十郎の居城で有名ですが、戦国時代は関ヶ原の戦い、幕末には戊辰戦争と、日本史を代表する動乱とも深い関わりがあります。そんな白石城の歴史をサクッと紹介。

アイキャッチ画像出典:PIXTA

白石城(しろいしじょう)ってどんな城?

白石城の画像

撮影:編集部

白石城(別名:益岡城)があるのは、宮城県南部・蔵王連峰のふもとに位置する白石市。東北本線「白石駅」から徒歩5分、もしくは東北新幹線「白石蔵王駅」から徒歩30分ほどの場所にあります。

 

白石城は、徳川家康が天下を握ることになった慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」から、明治7年(1874)「廃城令」によって解体されるまでのおよそ260年余り、仙台藩藩主・伊達家の家臣であった片倉家の居城でした。

白石城と桜

出典:PIXTA

一度は消失した白石城ですが、平成7年に天守と大手一ノ門・大手ニノ門が原型に近い形で忠実に復元され、全国でも珍しい木造天守として再びその姿を現します。

 

現在は県内を代表する桜の名所でもあり、毎年「白石城桜まつり」春には多くの花見客で賑わいます。

白石城の歴史

白石城の城内の画像

撮影:編集部

「お城あるある」かもしれませんが歴史的な背景を知らないと、せっかくお城を見学してもなんの面白みも感じませんよね。

 

白石城がどんな場所だったのか、この地で何があったのか。城にまつわる歴史を知っていれば「この場所で政宗公は戦ったのか……」と胸が熱くなるはず!

 

そこで今回は白石城を楽しく観光してもらうために、その歴史わかりやすく解説します。

伊達家の支配下にあった白石城

白石城内部の格子窓

撮影:編集部

いつ、だれが、白石城を築城したのか? 実は明らかにされていません。一説によると、平安時代後期に起こった「後三年の役」で戦果を挙げた刈田経元が築城したのがはじまり、ともいわれています。

 

そして時は流れ、戦国時代へ。刈田氏は伊達家の勢力下に属しており、いつからか名前も白石氏と改名していました。

政宗、秀吉に呼ばれて小田原合戦に参戦する

小田原 城址公園

出典:PIXTA(小田原城 城址公園)

事の始まりは天正18年(1590)、豊臣秀吉が関東の一大勢力であった北条家を討伐した”小田原合戦”がキッカケでした。その際秀吉は、まだ傘下に収めていない東北の武将たちへ参戦を呼びかけます。

 

当然伊達政宗の元にも、秀吉から参戦を促す書状が送られてきました。しかし輝宗(政宗の父)の時代から伊達家と北条家は同盟関係であったため、秀吉に服従するか北条氏に参戦するか……政宗は直前まで迷っていたようです。

 

家臣らの説得もあり、政宗は本拠地から小田原へ向けて出立します。そして現地に着いた政宗は秀吉との兵力差を思い知り、北条家との同盟破棄を選んだのです。

政宗、秀吉に白石城を没収される

小田原合戦で北条家を滅ぼした後、秀吉は東北の諸大名に対して領土の没収する”奥州仕置(おうしゅうしおき)”を実施。秀吉に従わない東北の大名の領地を取り上げることで、全国統一を成し遂げます。

白石城

撮影:編集部

”奥州仕置は、政宗も例外ではありませんでした。小田原合戦に遅れて参戦したことや※惣無事令を無視した前科もあり、政宗は秀吉によって白石城を含めた所領を取り上げられてしまいます。

※惣無事令(そうぶじれい)……豊臣秀吉が定めた、大名同士の私闘を禁じた法令。

白石城は政宗の手から離れ、代わりに秀吉の家臣・蒲生源左エ門郷成(がもうげんざえもんさとしげ)が城代となります。その際白石城は、石垣を積んだ天守”近世城郭”へと改造されました。

 

慶長3年(1598)には上杉景勝(上杉謙信の養子、家督を継いだ)領となり、白石城は上杉家の家臣・甘糟景継(あまかすかげつぐ)の居城となり、白石城の再構築が進められていきます。

政宗、”徳川派”として上杉と対立する

伊達政宗と周辺の人間関係

作成:編集部

事態が動いたのは、豊臣秀吉が亡くなった慶長3年(1598)。天下の覇権を狙う徳川家康が尻尾を出し、政権内部の影響力を高めていきます。

 

その一環として家康は、同じ※五大老のメンバーである上杉景勝を味方につけようと画策します。しかし景勝は豊臣家の存続を願う石田三成(豊臣家の家臣)と手を組み、家康とは敵対関係になります。

※五大老……末期の豊臣政権の政務にあたった、徳川家康、毛利輝元、上杉景勝、前田利家、宇喜多秀家の五大名のこと。

伊達政宗と上杉の関係

作成:編集部

慶長5年(1600)、反徳川派の景勝は※会津領内で城の補修や築城に乗り出します。この動きを、景勝の後に越後の大名となった堀秀治(ほりひではる)が謀反を企てているのではないかと? 家康に報告。

 

家康は理由を説明するよう上洛を命令しますが、景勝はこれを拒否。激怒した家康は、大軍を率いて会津討伐へと向かいます。

※会津……奥州仕置により、伊勢から移封された蒲生氏郷が支配し、政宗を抑える役目を負っていた。蒲生氏の死後、生前の秀吉により、上杉景勝が会津120万石に加増移封(所領を別の場所に移されること)された。

白石城の戦い

作成:編集部

しかし道中で石田三成の挙兵を知り、家康は会津への進軍を中止。先に三成を討とうと、引き返します。その後”天下分け目の戦い”といわれる「関ヶ原の戦い」がおこり、三成率いる西軍が家康率いる東軍に大敗。景勝も家康に降伏することになります。

政宗 VS 上杉「白石城の戦い」

一方そのころ、伊達政宗は家康の会津討伐の号令をうけて、上杉の家臣・甘粕景継(あまかすかげつぐ)が城代を務めていた白石城を攻略しようと動き出します。

 

しかしこの時、景勝の命で景継は会津へ出向いており、代わりに甥の登坂勝乃が代理として城を守っていました。

白石城 天守からの眺め

撮影:編集部

かつては伊達の所領だったため、地に利のある政宗は一気に城の奪還を図ります。追い詰められた勝乃は政宗に降伏しようとしますが、鹿子田右衛門が徹底抗戦を主張。しかし勝乃は田右衛門を殺し、降伏の道を選びました。この戦を現在は「白石城の戦い」と呼んでいます。

 

こうして白石城は、再び伊達の勢力下に置かれることに。慶長7年(1602)には政宗の腹心・片倉景綱(小十郎)が城代となり、以降は片倉家の居城となります。

一国一城令から逃れた貴重な城

白石城

撮影:編集部

慶長20年(1615)、江戸幕府と豊臣家との間で勃発した”大阪の陣”で、豊臣家はついに滅亡。幕府による支配も安定化し、諸大名に対する規制を強めていきます。

 

その一例として、一国一城令(いっこくいちじょうれい)が挙げられます。その名の通り、一国につき城を一つだけ認めるという内容です。

 

当時白石城のある仙台藩には、初代藩主の政宗が築いた仙台城がありました。本来であれば白石城は取り壊されるはずですが、”特例”として存続を許されることになります。

 

これには城主であった景綱の功績が認められた、政宗と景綱を離れさせるの目的があったなど様々な説が浮上していますが、結果として白石城は以降260年余りの間片倉家の居城として存在し続けたのです。

幕末に再び登場する白石城

奧羽越列藩同盟の旗

撮影:編集部(青い矢印は、奧羽越列藩同盟旗)

白石城が再び歴史に登場するのは、幕末の動乱期。慶応4年(1868)の※戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際に、薩長連合(新政府)に対抗するための同盟(奥羽越列藩同盟)が、この白石城で結ばれました。

 

しかし仙台藩や会津藩が降伏し、同盟は消滅。明治7年(1874)に白石城は解体されてしまいます。

※戊辰戦争……明治政府を樹立した薩摩藩、長州藩、土佐藩らを中心とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)が戦った内戦。
※奥羽越列藩同盟……戊辰戦争中に成立した同盟。陸奥国・出羽国・越後国など、計31藩が加わった、反維新政府的攻守同盟。

白石城内の見どころ

白石城 本丸 想像図

撮影:編集部(白石城「本丸」想像図)

史実に基づき、解体前の白石城を再現した外観と内観の見どころをご紹介します。

3階の天守から望む、白石の城下町

白石城の天守閣からの眺めの画像

撮影:編集部(天守の三階、高欄からみた白石の町並み。天気のいい日には、蔵王連峰もみえる。)

平成7年に復元された、白石城三階櫓(さんがいやぐら)。城郭として機能していた文政6年(1823)の構造に基づき、忠実に復元されました。

 

国内でも数少ない木造による復元で、数百年の歳月にも耐え得るといわれています。天守の高さは石垣天端から約16.7mで、戦後の木造復元天守のなかでは高さ・広さともに日本最大級!

白石城 三階櫓

出典:PIXTA

そんな三階櫓は実質「天守」ですが、当時江戸幕府への配慮から「大櫓」と名付けられました。片倉家の日記の中にも「天守」とは記されていません。

白石城 狭間

撮影:編集部

三階櫓は城主の住まいではなく、武器等の保管場所として利用されていたたそう。一番上の三階は物見櫓も兼ねており、敵の情勢をみながら軍議を開けたようです。

白石城1階

撮影:編集部(1階の北と西側にある石落とし)

また戦闘状態になったとき、敵の頭上に石を落として攻撃する”石落とし”などが、1階に設けられていました。

白石城 サムライ体験

撮影:編集部

城内では本格的な甲冑着付け体験、「サムライ体験」を無料できるようです。専門のスタッフが着付けをサポートしてくれるので、安心してください。
白石城 サムライ体験

写真提供:白石市・蔵王町
記念撮影にぜひ!

白石城のアクセス、基本情報

白石城

撮影:編集部

アクセス

<電車>

JR東北本線「白石駅」から徒歩約10分

 

<車>

東北新幹線「白石蔵王駅」から車で約5分

東北道白石I.Cから、国道4号経由で約10分

 

<駐車場>

・城下広場駐車場(大型車7台、普通車81台)

料金:無料

アクセス:東北自動車道白石I.Cから車で約15分

城下広場駐車場の詳細ページはこちら

 

・益岡公園駐車場(大型車13台、普通車210台)

料金:無料

アクセス:東北自動車道白石I.Cら車で約10分

入館料

施設一般小学・中学・高校生未就学児童
白石城400円200円無料

白石城・白石城歴史探訪ミュージアム・武家屋敷3館共通券600円、20名以上団体割引あります。

営業時間

期間時間
4~10月9:00~17:00
11~3月9:00~16:00

最終入館は、閉館30分前までです。
※休館日 は12月28日~12月31日。

白石城外4つの見どころ

見どころ① 本丸の「石垣」、野づら積みと内込みハギ技法

白石城 石垣

撮影:編集部(白石三階櫓の石垣)

白石城に来たら、ぜひ石垣に注目してみてください。三階櫓の石垣は、自然石をほとんど加工せずに積み上げていく”野面(のづら)積み”という工法を用いています。石垣の復元に野面積みを採用したのは、全国でも白石城がはじめて。

 

野面積みは、自然石を用いているため形はバラバラ。しかも風化によって角が丸くなることで石同士の間に隙間が生まれ、敵が登りやすくなるという欠点があります。

白石城 外壁の石垣

出典:PIXTA(白石城 外壁の石垣)

三階櫓を囲む外壁は野面積みではなく、より精巧となった”打ち込みハギ技法”が用いられています。打ち込みハギ技法は、石の表面を叩き平たくすることで、石同士を密着させ隙間のない石垣を実現。

 

関ケ原の戦い以降は、この打ち込みハギ技法が積極的に取り入れらました。野面積みの石垣よりも急こう配で、足をひっかけて登っていくのも至難の業。

見どころ② 「白石城・歴史探訪ミュージアム」でシアター観賞!

白石城 歴史探訪ミュージアム

写真提供:白石市・蔵王町

白石城の建つ益岡公園内にある、「歴史探訪ミュージアム」。1階には白石城オリジナルグッズが手に入るお土産屋や、うーめんなどの地元グルメを楽しめる食事処があり、2階はパネル展示による歴史資料館となっています。

白石城歴史探訪ミュージアム ハイビジョンシアター

写真提供:白石市・蔵王町

3階には立体ハイビジョンシアターがあり、大阪夏の陣や奥羽越列藩同盟など白石城にまつわる秘話が上映されます。

 

3Dのハイビジョン・シアターなので、槍や弓(ときには人も!?)が画面から飛び出してくる迫力はドキドキもの。白石城にきたら絶対にみておきたい!※シアターの上映時刻はこちら

 

白石城・歴史探訪ミュージアムの基本情報はこちら

所在地:

〒989-0251 白石市益岡町1-16(益岡公園内)

営業時間:

4月~10月(9:00~17:00)

11~3月(9:00~16:00)

観賞料:

<3階立体ハイビジョンシアター>

一般…400円/小学・中学・高校生…200円

駅からのアクセス:

JR東北本線 白石駅から徒歩約15分、東北新幹線 白石蔵王駅から徒歩で約30分

駐車場:

城下広場駐車場(大型車7台、普通車81台)

電話番号:

0224-24-3030(白石城管理事務所)

白石城・歴史探訪ミュージアムの公式HPはこちら

見どころ③ 白石城の守り神「神明社(しんめいしゃ)」

神神社
撮影:編集部
平安時代の大同2年(807)、坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられている神明社。白石城や領内の鎮守として、人々から敬われていました。
神明社
撮影:編集部
主祭神は、天照大御神。伊達政宗と片倉景綱(小十郎)も合わせ祀られています。

見どころ④ 「片倉家中武家屋敷」で武士の生活を垣間見る

白石城 武家屋敷

撮影:編集部(片倉家中武家屋敷の入口。宮城県指定文化財指定)

白石城から白石駅に向かう道中にある「片倉家中武家屋敷(旧小関家)」。白石城の城主・片倉家の家臣だった小関家の屋敷です。享保15年(1730)に建てられ、およそ260年余りの歴史があります。

片倉家中武家屋敷

撮影:編集部

茅葺き屋根が特徴の母屋は、外観も内部も簡素な造り。囲炉裏のある茶の間に納戸、座敷を配した間取りです。贅沢さは微塵も感じられず、慎ましく暮らしていた下級武士らの生活が垣間見える場所でもあります。

 

※内部の拝観は有料です。白石城との共通チケットあり。

白石城のイベント

続いては白石城で行われるイベントをご紹介。とくに10月に開催される鬼小十郎まつりは必見ですよ。

【4月上旬~下旬】白石城 桜祭り

白石城

出典:PIXTA

白石城のある益岡公園では例年4月上旬~下旬にかけて、およそ400本もの桜が咲き誇ります。開花期間中には「桜祭り」が開催され、ライトアップされた白石城をバックに夜桜を楽しめます。桜祭りの詳細はこちら

【5月3日】片倉鉄砲隊火縄銃演武

白石城の片倉鉄砲隊火縄銃演武の画像

出典:PIXTA

当日の白石城内は、甲冑武者が練り歩き正に時代絵巻モードに突入! 本丸広場にホラ貝の音とともに片倉鉄砲隊が入城し、迫力満点の勇壮な火縄銃演武を披露します。

 

実践形式なので、射線上に入ると片倉小十郎さんに怒られますので注意しましょう!

【10月第1土曜日】鬼小十郎まつり

白石城 秋・鬼小十郎

写真提供:白石市・蔵王町

大阪夏の陣で鬼小十郎として名を馳せた”二代目小十郎”、片倉重長(片倉景綱の息子)と真田幸村との激闘を、白石城で再現。演じるのは、一般から募集したエキストラの方々です。また観覧者のコスプレも歓迎しています。

 

ほかにも本物の手裏剣や、吹き矢を体験できる忍者体験や、甲冑の試着&写真撮影、産直朝市など催しものが目白押しです!

 

※鬼子十郎祭りの詳細はこちら

【10月中旬~11月中旬】白石城菊花展示

白石城の菊花展示会の画像

出典:PIXTA

市民の方々が丹精込めて育てた、菊の花の展示会。花と白石城のコントラストは必見です。

【12月31日】除夜の鐘を鳴らす会

白石城 除夜の鐘

写真提供:白石市・蔵王町

一年の終わり大晦日、白石城の鐘堂で除夜の鐘をつきませんか? 当日は108名の方へ来場順に整理券が配布されます。

 

また1月1日には、白石城の”天守から初日の出を拝む会”も実施されます。※入場制限を行う場合もあり。

 

白石城のイベント一覧はこちら

戦国時代~幕末、動乱を見続けてきた「白石城」

白石城の画像

出典:PIXTA

いかがでしたか? 関ヶ原の戦いに戊辰戦争。時代の節目に登場し、深く関わってきた白石城。

 

現在は「続日本100名城」に選ばれており、多くの城郭ファンや観光客が訪れます。城内に”続100名城スタンプ”も設置されているようなので、これを機に東北の城を巡ってみるのも楽しそうですね!

白石城の画像
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