芋煮会の発祥ってどこなの?
山形県※中山町の資料によりますと、山形県の中山町長崎地区が”芋煮会発祥の地”とされています。
※中山町(なかやままち)…山形県東村山郡中山町。最上川沿いに広がる町で、山形県の中央部に位置する。山形市から車で約24分。
元祖芋煮は里芋と棒鱈だった!
今からさかのぼること、350年以上前の江戸時代。
最上川舟運(もがみがわしゅううん)の終点である中山町長崎に、京都から※北前船(きたまえぶね)がやってきます。
山形名産の※青苧(あおそ)を仕入れるためにやってきたものの、なかなか内陸部から青苧が届きません。
青苧が届くまでの間、京都の船頭たちは近所の畑から買ってきた里芋(さといも)と、積み荷の棒鱈(ぼうだら)を鍋に入れて煮込みはじめたのです。
この煮込み鍋が、芋煮会のはじまりとされています。
船頭たちは鍋を囲んで酒を酌み交わし、楽しく時間をつぶしたとか。
つまり芋煮は京都の人が山形でつくった、ということになります。
中山町長崎は江戸時代の元禄6年(1693)まで、※最上川舟運の終着港として賑わっていました。したがって芋煮会は、1693年以前に行われていたと考えられています(諸説あります)。
そう考えると、芋煮会は350年以上の長い歴史をもつ食文化なんですね。
※青苧…繊維の素材となる植物
※北前船……航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる船のこと。対馬海流に抗して、北陸以北の日本海沿岸諸港から下関を経由し、瀬戸内海の大坂に向かう航路を通った。
※最上川舟運(もがみがわしゅううん)…舟運とは舟による交通や輸送のこと。出羽山形藩初代藩主・最上義光(政宗の叔父)が、酒田と山形を水運で結ぶ為に「最上川の三難所」を開削して舟運の円滑化を図った。
最上川の三難所とは、村山市にある「碁点」「三ヶ瀬」「隼の瀬」の3地点。
この最上川の河道整備により、水運は発達し各所に船着場が建設された。
芋煮の鍋を掛けていた、松の木がある
当時、船頭たちが芋煮の鍋を掛けるのに使ったと伝えられているのが鍋掛松(なべかけまつ)で、大正6年(1917)まで残っていたそうです。現存する鍋掛松は5代目。
【鍋掛松の基本情報】
所在地:
〒990-0402 山形県東村山郡中山町いずみ1番地 ひまわり温泉ゆ.ら.ら地内
アクセス:
<車>
山形自動車道 寒河江I.Cから約7分
<電車>
JR左沢線 陸前長崎駅から徒歩で約16分
駐車場:
無料/約130台
地域によって違う「芋煮」の味
芋煮の元祖食材は棒鱈とされていますが、時の流れともに食材は変化していきます。
棒鱈、クジラ肉、豚肉、鶏肉、牛肉へと変化し、南東北(宮城県・山形県・福島県)全体に広がりました。
現在では各県や地域によって、使用する食材や味付けが異なります。
そのため芋煮会シーズンになると、SNS上を中心にこんなイベントが発生することも……。
互いの愛をぶつけ合う、芋煮戦争が起こる
9~10月頃になると、SNS上で「#芋煮戦争」が勃発します。某TV番組にも取り上げられ、県民以外にも知られるようになりました。
「芋煮といえば、豚肉に味噌だろ!」
「それじゃ〇汁じゃん。芋煮は牛肉に醤油で決まりでしょ!」
「まぁどっちも食べるけどね笑」
とまぁ、こんな感じで。どんな味付けや食材にせよ、「芋煮が好き」という気持ちは皆同じということがよくわかります。
芋煮愛が深いゆえに、このような戦争(イベント)が起こるのも東北ならではの魅力です。
日本三大芋煮ってご存じ?
日本三大芋煮とは、山形県中山町の「棒鱈煮」、島根県津和野町の「芋煮」、愛媛県大洲市の「いもたき」のこと。
平成26年(2014)JR東日本が出資している交通新聞社が発行した「旅の手帖」に、この3つの市町を”日本三大芋煮”と記されたのがキッカケとなりました。
これを機に、3つの市町が連携しそれぞれの芋煮をPRするイベントや情報を発信しています。
呼び名は違えど、東北だけでなく九州や四国でもその地ならではの芋煮会が行われているんですね。
芋煮会は、みんなが笑顔になる魔法の会
東北の秋の風物詩「芋煮会」。各地で味や食材の違いや好みはありますが、芋煮会はみんなが笑顔になる魔法の集まりです。
芋煮のつくり方はとてもシンプルでカンタンなので、肌寒くなる秋には最適の料理です。あなたも芋煮で身も心もホッとしてみませんか。
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