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「上楯城」ローマ貴族となった侍・支倉常長の居城!

2021/09/16 更新

仙台市と周辺の城を紹介する【お城巡りシリーズ】。第8弾を迎える今回は、宮城県川崎町にある「上楯城(かみたてじょう)」を訪ねました。慶長遣欧使節のリーダー支倉常長ゆかりの地であり、居城とされる上楯城のすぐ近くには菩提寺もあります。

アイキャッチ画像出典:撮影 筆者
記事中画像:撮影 筆者

「上楯城」ってどんなお城?

川楯城

「上楯城(かみたてじょう)」は仙台市から車で40分ほど、宮城県南西部の柴田郡川崎町にあります。

 

支倉常長(はせくら つねなが)が7歳から青年期まで過ごしたとされる城で、戦国時代の天文14年(1545)に常長の養祖父・支倉常正(はせくら つねまさ)によって築城されたと考えられています。

石高以上の規模を誇り、土塁や空堀、馬場などの軍事施設を備えた城だったようです。

 

常長がどのくらい居城していたのか、いつ廃城となったのか?上楯城に関する史料は残されておらず、その史実は謎に包まれています。

「支倉常長」ってナニモノ?

支倉常長

▲石巻市「サン・ファン館」にある支倉常長の展示

今から400年前の江戸時代、仙台藩藩祖・伊達政宗の命により南アメリカ大陸、ヨーロッパへと渡った武士・支倉常長(はせくら つねなが)。

 

アジア人として唯一無二のローマ貴族およびカトリック教徒となり、日本人ではじめてチョコレートを口にした人物としても知られています(諸説あり)。

仙台城 二の丸跡

出典:PIXTA(仙台城跡 二ノ丸跡にある常長の銅像)

支倉常長は元亀2年(1571)、支倉常正の子である山口常成(やまぐち つねしげ)の嫡男として、現在の山形県米沢市で生まれました。

支倉家の家督を継いだのは、山口常成の兄である支倉時正(はせくら ときまさ)でしたが、時正の妻(砂金貞常の娘)との間に子が授からなかったため、常長は7歳のときに時正の嗣子として養子入りします。

 

ところがその後、時正は最初の妻と離縁。のちに迎え入れた後妻が、2人の男子を授かったのです。

これを受け、伊達政宗は支倉家の家禄1,200石のうち、半分600石を常長に与えて分家させました。

嗣子(しし)…家を継ぐべき子。あととり。

仙台城 政宗公 レリーフ

▲仙台城跡にある伊達政宗騎馬像の台座レリーフ(出航海前の支倉常長らを見送る伊達政宗)

その後は伊達氏の家臣として、功績を積み上げていく常長。42歳のとき、人生の転換期が訪れます。

主君の伊達政宗公より、※慶長遣欧使節の大使に抜擢されたのです。

石巻 サンファン館

▲サン・ファン・バウティスタ号の復元船

慶長18年(1613)10月28日。常長を筆頭とする慶長遣欧使節は、サン・ファン・バウティスタ号に乗ってヌエバ・エスパーニャを目指し出港しました。

そして7年の歳月に渡る航海を終え、1620年に無事帰国を果たしたのです。

 

詳しくは下記記事でご紹介していますので、ぜひご覧ください!

※慶長遣欧使節団…伊達政宗がヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)との直接貿易を求めるために、イスパニア(現在のスペイン)国王及びローマ教皇のもとに派遣した外交使節のこと。

「上楯城址」を散策!

上楯城

▲野生のキツネ

館山の山頂に築かれた山城で、本丸、二ノ丸、三ノ丸、曲輪、馬場跡からなる東西300m、南北200mの大型連郭式山城跡です。

遺跡の規模は、東西南北それぞれ約500mに及ぶと考えられています。

 

それではさっそく、上楯城址内をみてみましょう。

上楯城の入口

上楯城 入口

県道119号線(すいせんロード)から館山方面に進んでいくと、「上楯城入口」と書かれた案内標がみえてきます。

上楯城の駐車場

上楯城 駐車場

上楯城入口から上に登っていくと、駐車場がありました。トイレも整備されています。駐車場に上楯城の案内図がありますので、みてみましょう。

上楯城 案内板

上楯城跡の説明と見どころが書かれていました。何やら右側に、ポストのようなものが設置されています。中をみてみると……。

上楯城 マップ

上楯城を紹介している、A4判の印刷物が入っていました。城址内の要所ポイントが書かれていますので便利です。

駐車場からゆっくり歩いて回ると、上楯城址の所要時間はおよそ1時間と書かれていました。

 

無料ですので1枚いただいてから、いざ城址散策スタート!

上楯城駐車場からの入口

城址内へは、駐車場から続く写真上の道を進みます。矢印などの案内板は設置されておらず、筆者も少し迷ってしまいました……。

上楯城址内へ

上楯城 歩道

このような登り道が続きます。周囲は青々と茂る木々に囲まれ、野鳥のさえずりや風が気持ちいいです。

上楯城 標識

何やら遠くに案内板がみえてきました。どうやらこの先で、二手に道が分かれるようです。

上楯城 標識

左に行くと、本丸と二ノ丸方向ですね。右は「常長の菩提所」と記されています。

とりあえず、本丸と二ノ丸がある左へ進んでみることに。

上楯城 階段

少し歩くと、また分岐点に。二ノ丸の左方向と、本丸の右方向に分かれていました。まずは本丸へ。

上楯城本丸跡

上楯城 本丸跡

館山の山頂に到着。こちらが上楯城本丸跡です。広い平場になっており、杉林が立ち並んでいます。

四阿と上楯城の案内板がありました。案内板には現在地が記されており、一目で位置関係がわかります。

上楯城 銀杏の木

案内板の左側には、上楯城本丸の跡標が立っていました。写真右側にそびえているのは大銀杏で、根元に鎮座する赤い祠は「八幡神社」です。

 

白い説明板には、この大銀杏にまつわる蛇塚物語が紹介されていました。大銀杏は明治43年(1910)に切り倒されたらしく、現在のは2代目だそうです。

蛇と銀杏伝説 宮城

出典:いらすとや(作成:編集部)

~「蛇塚物語」より~

とある若武者に言い寄られ、困っていた奥方は「庭の銀杏の木の上にコウの鳥が巣をつくり、卵を産んでいるから、その卵を壊さずに取ってきたらあなたの願いを聞きましょう。」と言いました。

その銀杏の木は、高さ十メートルまで枝が一本もなく、人間わざでは登れない大木だったのです。

 

しかし若武者は、ためらうことなく大銀杏の根元へと歩いていきます。

奥方は若武者に気づかれぬように、部屋の障子を細目に開けて、コッソリ様子をうかがっていました。

 

若武者は誰もみていないことを確かめると、大銀杏の幹に手をかけます。すると若武者の姿はみるも恐ろしい大蛇となり、体を幹に巻き付けながら、スルスルと木を登っていくではありませんか!

梢にある巣に近づくと、大きな口を開けて卵を咥え、スルスルと地上におりていき、再びもとの若武者の姿に戻ったのです。

 

一部始終をみた奥方は、恐ろしい約束をしてしまったと悲しみました。

上楯城二ノ丸跡

上楯城 堀

本丸を下りて、二ノ丸に向かいます。写真上は、本丸と二ノ丸の間にある空堀です。

二の丸 階段

二ノ丸跡を示す案内板が立っていました。

上楯城 二の丸跡

二ノ丸へ続く階段を上がってみます。

上楯城 二の丸跡

二ノ丸跡も本丸跡と同じく、平場の杉林が広がっていました。

上楯城 木漏れ日

木漏れ日が美しい……。次は三ノ丸へGO!

上楯城三ノ丸跡

上楯城 三の丸跡

三ノ丸へ向かう途中にある、本丸と曲輪方面の案内板。本丸を囲う空堀と土塁がみえます。

上楯城 三の丸跡

上楯城三ノ丸跡に到着。こちらもかなり密集した杉林となっています。

上楯城 三の丸跡 畑跡

三ノ丸跡の反対側は、なぜか平地になっていました。その昔、城址内を畑として利用していたことがあったそうです。

常長の菩提所

上楯城 支倉氏菩提寺 標識

次に常長の菩提所がある方に行ってみます。

ここでガサガサっと音がしたので、良くみてみると何と子ギツネに遭遇! 自然豊かな上楯城址です。

 

キツネといえば白石市にある「宮城蔵王キツネ村」ですが、ここから車で50分ほどかかります。

上楯城 

下り道を進んでいくと、上楯城の跡標が立っていました。

上楯城 密林

眼下に常長の菩提寺「圓福寺」がみえます。しかし先は草木が生い茂る藪(やぶ)となっており、残念ながらこれ以上前に進めません。

 

以前は、圓福寺の裏手から上楯城はつながっていたようですが……。

一旦、本丸方面に戻って井戸跡へ向かいます。

上楯城井戸跡

上楯城 井戸の跡標

上楯城井戸跡は、三ノ丸から本丸へ続く空堀の途中にありました。しかし囲い石などはみあたりません。

大ケヤキ

上楯城 大ケヤキ

井戸跡のすぐ向かい側には、巨大なケヤキの木がありました。その名も大ケヤキ。

竹林

上楯城  竹林

大ケヤキから本丸方面に進むと、竹林の道へ。

上楯城 竹林に塞がれた遊歩道

凄まじい数の竹が行く手を遮ります。これはもう、かき分けて進むしかありませんね。

美しい空堀

上楯城  堀

駐車場に近い最初の案内板があるところに戻ってきました。ここで、ぜひみていただきたいのが、この大きくて美しい空堀です。

 

この空堀は本丸と二ノ丸の手前にあり、今も当時のまま残っています。筆者の個人的なオススメポイントですが、この偉容(いよう)をお見逃しなく!

 

以上で、上楯城址の散策はここまでです。

 

上楯城の基本情報

上楯城の基本情報】

所在地:

〒989-1507 宮城県柴田郡川崎町大字支倉字舘山

アクセス:

<バス>

仙台駅前からタケヤ交通の西部ライナー「かわさきまち行」に乗車(約78分)「かわさきまち」で下車し、川崎町役場からタクシーで約14分

<車>

東北自動車道「村田I.C」から約15分

駐車場:

無料/約15台

「イーレ!はせくら王国」で御城印をゲット!

イーレ!はせくら王国

圓福寺のすぐ下には、廃校した小学校をリノベーションした商業施設「イーレ!はせくら王国」があります。

上楯城 御城印

提供:イーレ!はせくら王国

上楯城の御城印が販売されています。全2種類です。

 

館内にには名物カカオカレーが自慢のレストラン、地元の農産物や宮城県のワイナリーのワイン、オリジナルチョコレートなどを販売する物産コーナーがあります。

 

イーレ!はせくら王国の基本情報

所在地:

〒989-1507 宮城県柴田郡川崎町支倉塩沢9

アクセス:

<バス>

仙台駅前からタケヤ交通の西部ライナー「かわさきまち行」に乗車(約78分)「かわさきまち」で下車し、川崎町役場からタクシーで約12分

<車>

東北自動車道「村田I.C」から約15分

駐車場:

無料/約90台

イーレ!はせくら王国の公式サイトはこちら

 

上楯城の麓に鎮座する「圓福寺」

上楯城 円福寺 入口

圓福寺(えんぷくじ)は、支倉常長の菩提寺です。山号は圓長山。創建年は不詳ですが、平安時代後期と伝えられています。

明治時代初期に真言宗智山派の直末寺として、この地に中興開山しました。

川崎町 円福寺 

ご本尊は延命地蔵菩薩。御丈約3尺の※塑像で、平安時代の作品だそうです。脇仏としてマリア観音が安置されています。

このマリア観音は仏像に似せてつくられたもので、隠れキリシタンといわれる所以となっています。

円福寺 川崎町 孔雀

本堂の右にある、木の根を利用してつくられたという孔雀も必見ですよ!

複数ある支倉常長の墓の1つ

円福寺 支倉常長の墓

圓福寺の裏手、墓地上部にある支倉常長の宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。周囲はキレイに整備されています。

いかり印の墓

いかり印の墓 支倉常長

墓地の中腹には、常長に同行した人物でキリシタンの墓とされる「いかり印の墓」があります。この墓石は平成3年(1991)8月に発見されたそうです。

このことにより、ここが常長の墓であるという信ぴょう性が高まっています。

 

圓福寺の基本情報

所在地:

〒989-1507 宮城県柴田郡川崎町支倉宿154

アクセス:

<バス>

仙台駅前からタケヤ交通の西部ライナー「かわさきまち行」に乗車(約78分)「かわさきまち」で下車し、川崎町役場からタクシーで約12分

<車>

東北自動車道「村田I.C」から約15分

駐車場:

無料/約10台

上楯城は土塁と空堀が見どころ

支倉常長が青年期まで過ごした上楯城。慶長遣欧使節という大役を終え、ヨーロッパから無事帰国した常長ですが、国内ではキリスト教弾圧が強まっており、人目を避けてこの地にたどり着いたといわれています。そして帰国の翌年か翌々年に亡くなったそうです。

400年以上も昔、この偉業を成し遂げた支倉常長が過ごした上楯城址に、あなたも一度訪れてみてはいかがでしょうか。

ITEM
支倉六右衛門常長の最期
著者/編集:
工藤 隆哉
出版社:
金港堂 
発行年月:
2020年11月04日
ページ数:
255p サイズ:

筆者のお城めぐりシリーズ

紹介されたアイテム

支倉六右衛門常長の最期
上楯城  堀
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札幌出身で趣味はギター。前職の転勤で仙台に移り住み、気が付いたらもう30年になります。仙台は海の幸や山の幸も美味しく、とても暮らしやすい所です。そんな仙台の魅力や地元ならではの情報をお届け致します。

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