川崎城とは?
関ヶ原合戦より8年後、慶長13年(1608)に伊達氏の家臣・砂金実常(いさご さねつね)によって築城されたと伝わる「川崎城(かわさきじょう)」。
宮城県南西部に位置する川崎町にあり、車で15分ほどの離れた場所には伊達家の家臣・支倉常長が幼少~青年期を過ごした「上楯城」があります。上楯城については、ぜひ下の記事をご覧ください。
仙台藩21要害のひとつ
築城後、幕府により「※一国一城令」が発令され、中世に築かれた城は「要害」となります。川崎城も「川崎要害」となり、仙台藩にある21の要害の一つとして、幕末まで存在していたとされています。
川崎要害は、宮城と山形を結ぶ笹谷街道を抑える位置にあり、※最上領に対する最前線でした。
そのため歴代藩主は川崎要害を重視し、砂川氏が断絶したのちには伊達一門を配し、知行二千石を与えたと伝えられています。
※最上氏…出羽国(現在の山形県・秋田県)の大名。1600年関ヶ原の合戦後、57万石の大大名となる。
歴代藩主については、記事後半でご紹介します。まずは現在の川崎城跡の様子をレポートしていきます!
川崎城跡(城山公園)を散策してみよう
川崎城の住所は川崎町前川舘山ですが、同町内にある上楯城の山名も館山ですので、お間違えのないようご注意ください。
川崎城へは川崎小学校と城山公園を目印にするとわかりやすいと思います。こちらの案内板から上に進んで行くと駐車場がみえてきますよ。
駐車場
普通乗用車で30台ほど駐車可能。どうやら小学校と共用のようなのです。
城山公園内(川崎城跡・本丸)
駐車場から本丸(城山公園)まではすぐです。
公園の入口近くのガードフェンスに止まっている小鳥たちが、さっそくお出迎え。さえずりが聞こえてきそうですね。
川崎城の規模は東西100間、南北40間ほど。わずかな土塁や空堀の痕跡が一部が残されているようですが、しっかりとした形跡はみられませんでした。
本丸は城山公園として整備され、二ノ丸は川崎町立川崎小学校の校庭となっています。二ノ丸には家中屋敷や畑などがあったようです。
公園内には多くの板碑や招魂塔、戦没者碑があります。
公園の奥に進んで行くと四阿がみえてきました。
四阿からのぞむ景色。この日は曇りでしたが、晴れた日には蔵王連峰が一望できるようです。歴代館主たちも、同じ景色を見ていたのでしょうか…。
四阿の近くにある公園道階段。川崎城は、標高201mの丘陵の西端を利用して築いた平山城だったようです。
上からみると高さを感じます。
公園の中央付近には、前川城址(川崎要害)跡標と説明版が立っています。説明板の左足をみると、なにやらポストのようなものが設置されていますね。
ポストの中をみてみると、川崎城を紹介するA4判の印刷物が入っていました。川崎城は今後も調査を予定しているそうです。
以上、川崎城跡の散策はここまで! 続いては川崎城の歴史や、歴代藩主についてご紹介します。
前川城?川崎城?どっちなの?
上の写真をみると「前川城址(川崎要害)入口」となっています。なぜ川崎城址ではなく、前川城址なのでしょうか?
それは、川崎城築城以前に築かれた城が関係しています。歴史を690年ほど前までさかのぼり、順を追ってひも解いてみましょう。
はじめに砂金氏が「砂金城」を築城
砂金氏はもともと菅原姓で、先祖は源義経の家臣といわれています。
衣川で義経が討たれた後、浪士となった砂金氏は奥州へ下り、延元年間(1336~1340年)にこの地へ移住したと考えられているようです(諸説あり)。
その後、砂金氏は「砂金城(別名を本砂金城)」を築いたとされていますが、築城年などは不明。
3代・砂金長常(いさご ながつね)の時に砂金邑守護となり、代々伊達氏の家臣として仕えました。
ちなみに川崎町内には「本砂金」という地名が残されており、以前に砂金城があったとされています。別名は本砂金城(もといさごじょう)とも呼ばれています。
砂金常久「砂金城」を廃城し、「前川城(中ノ内城)」へ移住
砂金城の最後の城主は、8代・砂金常久(いさご つねひさ)。
天正元年(1573)、常久は前川の地に「前川城(まえかわじょう)」を築城し、居城を移しました。
これにより砂金城は廃城。
前川城は中ノ内城、錦ヶ館という名称もあったようです。
砂金実常「前川城」から「新しい前川城(川崎城)」へ
11代・砂金実常(常房)(いさご さねつね)は、慶長13~15年(1608~1610)にかけて、新たに「前川城(川崎城)」を築城。
以前の前川城は廃城となり、「新しい前川城(川崎城)」へ居を移しました。
しかし宮城県教育委員会による、昭和61年(1986)の東北横断自動車道遺跡調査報告書1では「この川崎前川城築城以前に、砂金氏が前川本城跡に居城していたとされているが、それに関する文献はない。」としています。
8代・砂金常久が築城したという前川城の真偽は不明のままですが、一説によると砂川氏は、前の前川城に「本」を付け、「前川本城」としたそうです。
ちなみに「前川本城」があったとされる場所には、空堀などの遺構がしっかり現存しています。
前の城を「前川本城」、新たに築いた方を「前川城(川崎城)」とし一国一城令により「川崎要害」へ呼称が変わりました。
現在では川崎城(川崎要害)の名称で呼ぶことが多いのですが、当時は前川城(中ノ内城)と呼ぶのが一般的だったのかもしれませんね。
築城した砂金氏は、元禄15年(1702)まで居城したものの14代・※砂金重常に嗣子がなく、一時断絶となります。
※砂金重常(いさご しげつね)…砂金又次郎重常は涌谷伊達家3代当主・伊達宗元の次男で、川崎邑主・砂金四郎兵衛勝常の養嗣子となった人物。
川崎城(前川城)の歴代城主
川崎城を築城した砂川氏は、90年ほど居住していましたが後継ぎがなく断絶。
その後、川崎伊達家創設にともなう知行替えまでの20年間は、のちの仙台藩5代藩主・伊達吉村の弟である伊達村興(だて むらおき)が居館したとされています。
そして享保7年(1722年)、仙台藩一門の伊達 村詮(だて むらあき)は川崎要害を拝領し知行二千石を与えられました。彼の子孫を「川崎伊達家」を称し、幕末までは川崎伊達家が居館しました。
川崎城の歴代城主を3代目までご紹介いたします。
初代城主
川崎城の初代城主は、伊達氏の家臣で築城主の砂金氏11代当主・砂金実常(常房)。
慶長13年(1608)から元禄15年(1702)まで約90年間居城しています。
幕府から一国一城令が発令されたため、仙台藩は川崎城を川崎要害と名称を変え、城としての機能を存続させました。
2代目城主
2代目城主は、※宮床伊達家3代当主・伊達村興(だて むらおき)。
村興は、のちの仙台藩5代藩主・伊達吉村の弟で、5,000石を拝領し元禄15年(1702)川崎城主となります。
しかし元禄16年(1703)に5代藩主になった兄・伊達吉村(だて よしむら)から補佐を命じられ、仙台城下に詰めていたので村興は川崎要害にほとんど居なかったとか。
3代目城主
3代目城主は、仙台藩一門格の川崎伊達家初代当主・伊達 村詮(だて むらあき)。
享保7年(1722)に川崎要害を拝領し知行2,000石を与えられ、享保8年(1723年)仙台から川崎入りしています。
以後、川崎伊達家は7代に渡り幕末にいたるまで、約140年間この地を治めました。川崎要害は伊達21要害の1つとして、有事に備えた仙台藩西部の重要拠点として存在し続けたのです。
所在地:
〒989-1501 宮城県柴田郡川崎町前川舘山
アクセス:
<バス>
仙台駅前からタケヤ交通の西部ライナー「かわさきまち行」に乗車(約78分)「かわさきまち」で下車し徒歩約5分
<車>
東北自動車道「村田I.C」から約15分
駐車場:
無料/約30台
お立ち寄りスポット「龍雲寺」
川崎城から車で15分ほどの所にある「龍雲寺(りゅううんじ)」。曹洞宗の寺院で、川崎町内では最も大きな寺となっています。山号は陽廣山(ようこうざん)。
元和4年(1618)に僧の覚永(かくえい)が開山しました。本尊は釈迦如来像で、砂金氏5代と川崎伊達氏8代の菩提寺でもあります。
袈裟懸け地蔵尊(梁川庄八の伝承)
山門の手前左手にある地蔵尊ですが、右肩が斬られたように削げていますね。案内板によると、伊達家の家臣・庄八の伝承と関係があるようです。
~伊達家の家臣・庄八の伝承~
主君の怒りに触れ、川崎でひっそりと隠れ住んでいた庄八。その頃、川崎街道には狐狸妖怪が現れ、金品を盗んでは人々を困らせていた。
その難儀を救おうと、丑三つ時(午前2時~2時半)に襲ってきた大入道を一刀で斬り倒した。
翌朝確かめてみると、路傍の地蔵尊の右肩が斬られたように削げており、それをみた里人が袈裟懸け地蔵尊と呼ぶようになった。
龍雲寺本堂
宝暦10年(1760)の火災により堂宇が焼失し、昭和41年(1966)に本堂が再築されました。
本堂は木造平屋建て、入母屋の銅板葺きで平入です。桁行は8間あって正面は1間。唐破風向拝付きで、外壁は真壁造り白漆喰仕上げとなっています。
北国八十八ヶ所霊場第10番札所、ならびに柴田三十三観音霊場第33番札所です。
龍雲寺山門前の国司壇
龍雲寺の山門前にある国司壇(墓)。奈良時代か平安時代のころ、この地に赴任し朝廷に代わって政務を司った官僚の人のものと考えられています。
所在地:
〒989-1505 宮城県柴田郡川崎町小野龍雲寺前18
アクセス:
<バス>
仙台駅前からタケヤ交通の西部ライナー「かわさきまち行」に乗車(約78分)「かわさきまち」で下車し徒歩約16分
<車>
東北自動車道「村田I.C」から約15分
駐車場:
無料/約20台
歴史の扉を開けに川崎町へ
日本人が初めてヨーロッパに渡った慶長遣欧使節のリーダー支倉常長ゆかりの地や、川崎城を築いた砂金氏、川崎伊達家など古い歴史を持つ川崎町。そんなロマンあふれる川崎町に、あなたも歴史の扉を開けに訪ねてみませんか。
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