⑤ 利府城(宮城郡利府町)
鎌倉時代に留守氏の家臣・村岡氏によって築城されたと考えられており、当時は「村岡城」と呼ばれていたようです。
しかし戦国時代後半の1569年(永禄12)、「岩切城」でも触れた留守政景(伊達政景)を養子に迎えたことで、留守氏内部で分裂が起こります。養子に反対した村岡氏は「村岡城」に籠城したものの、留守政景に攻められ落城。村岡氏は滅亡しました。
その後、政景公は「岩切城」から村岡城に居城を移し、「利府城(りふじょう)」と名を改めます。
しかし1590年(天正18)の小田原合戦に参戦しなかった留守氏は、豊臣秀吉による奥州仕置で改易となり、利府城は廃城となりました。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
現在は館山公園として整備されており、はっきりとわかる遺構は残されていません。石碑や案内板が設置されているほか、切岸や平段が見られます。
住所:
宮城県宮城郡利府町利府城内
アクセス:
【公共交通の場合】
JR東北本線「利府駅」より徒歩約15分
【クルマの場合】
三陸道「利府中」ICより約10分
駐車場:
無料、3か所あり(62台)
県北エリアのお城
① 岩出山城(大崎市)
もともとは「岩手沢城」と呼ばれ、大崎氏の重臣・氏家氏の居城でした。しかし豊臣秀吉が天下を取り、奥州仕置により大崎氏は滅亡します。
ほどなくして1590年(天正18)に葛西・大崎一揆が起こると、秀吉の命を受けて伊達政宗公が出陣。鎮圧に貢献したものの、一揆への関与を疑われ、結果無罪とされましたが旧葛西・大崎領へ移封されることになります。
移封に先立ち、奥州の検地を行っていた徳川家康が、岩手沢城の縄張りや修復・整備を行った後、政宗公に引き渡したといわれています。名を「岩出山」を改め、仙台城が築城されるまでの12年間、政宗公の居城になりました。
現在は城山公園として整備されており、園内には白い伊達政宗公の立像や、岩出山伊達の子弟が過ごした学び舎「旧有備館」があります。
見られる遺構としては、曲輪跡、大空堀、石垣、土塁、堀切などが残されています。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
販売場所:
サラダ館大崎岩出山店、花山太右衛門商店
営業時間:10:00~18:00、8:30~17:00(火曜定休)
料金:300円
住所:
宮城県大崎市岩出山字城山42-2
アクセス:
【公共交通の場合】
JR陸羽東線「有備館駅」より徒歩約13分
【クルマの場合】
東北道「古川」ICより約15分
駐車場:
無料、20台
② 涌谷城(遠田郡涌谷町)
伊達家家臣・亘理(わたり)氏の居城で知られる「涌谷城(わくやじょう)」。
戦国時代までは、伊達氏と並ぶ勢力を誇った奥州の大名・大崎氏の家臣である涌谷氏が所有していました。しかし豊臣秀吉が天下統一を果たしたことで、大名としての大崎氏は滅亡。涌谷城は秀吉の家臣・木村氏の手に渡ります。
ですが後に、木村氏に不満を抱いた領民らが大規模な一揆を起こし、これを鎮めた伊達氏の領地となります。
お城は明治維新までありましたが、新政府により石垣と隅櫓(太鼓堂)を残して、取り壊されてしまいました。
現在は城山公園として整備され、桜の名所として有名です。場内には県内唯一の城郭遺構「隅櫓(太鼓堂)」が現存しています。写真にある天守閣風の建物は「涌谷町立史料館」で、涌谷伊達氏(亘理氏)ゆかりの文化財などが収蔵されています。
なし
所在地:
宮城県遠田郡涌谷町涌谷下町
アクセス:
【公共交通の場合】
JR石巻線「涌谷駅」より徒歩約10分
【クルマの場合】
東北道「古川」ICより約35分
駐車場:
無料/約30台
※桜まつり期間は、駐車場台数拡大
宮城県には、伊達家ゆかりのお城が多い!
戦国時代に入りじわじわと頭角を現し、中世からこの地に勢力を誇っていた名族を続々と支配下に置き、奥州の戦国大名として名を馳せた伊達氏。
そんな伊達氏ゆかりのお城が、宮城にはいたるところに点在しています。
この記事で紹介しているのは、まだほんの一部に過ぎません。ぜひ宮城で城めぐり、して見ませんか?