③上楯城(柴田郡川崎町)
上楯城(かみたてじょう)は、伊達家の家臣・支倉常長(はせくら つねなが)が幼少から青年期にかけて居城したお城です。戦国時代の1545年(天文14)に、常長公の養祖父・支倉常正(はせくら つねまさ)によって築城されたと考えられています。
空堀、曲輪などが残されているほか、麓には常長公の菩提寺の「圓福寺(えんぷくじ)」があります
常長公は、主君・伊達政宗公の命を受け、貿易交渉のためにヨーロッパへ渡った慶長遣欧使節のリーダー。スペイン国王やローマ教皇と謁見し、7年の旅路を経て無事帰国を果たします。
石巻市に慶長遣欧使節ミュージアム「サン・ファン館」もあるので、併せて訪ねてみてください。
営業時間:10:00~18:00(冬季 10:00~17:00)
料金:300円
住所:
宮城県柴田郡川崎町大字支倉字舘山
アクセス:
【公共交通の場合】
J仙台駅前からタケヤ交通の西部ライナー「かわさきまち行」に乗車(約78分)-「かわさきまち」下車‐川崎町役場からタクシーで約14分
【クルマの場合】
東北道「村田」ICより約15分
駐車場:
無料/約15台
④川崎城(柴田郡川崎町)
先ほど紹介した上楯城から、車で15分ほどの場所にある「川崎城(かわさきじょう)」。1608年(慶長13)に伊達家家臣・砂金実常(いさご さねつね)によって築城されたといわれています。
川崎城は、山形の最上領に対する最前線に位置していました。そのため砂川氏が断絶した後には、伊達一門を配し知行二千石を与えるほど、歴代藩主は川崎城を重要視していたと考えられています。
しかし築城後、江戸幕府から一国一城令が発令され、仙台藩を守る要害(川崎要害)の一つとなります。
現在は城山公園として整備され、わずかな土塁や空堀の痕跡が一部が残されているのみ。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
所在地:
宮城県柴田郡川崎町前川舘山
アクセス:
【公共交通の場合】
仙台駅前からタケヤ交通の西部ライナー「かわさきまち」行きに乗車(約78分)-「かわさきまち」下車‐徒歩約5分
【クルマの場合】
東北道「村田」ICより約15分
駐車場:
無料/約30台
仙台エリアのお城
宮城県の県庁所在地、仙台市にあるお城を紹介します。
① 仙台城・青葉城(仙台市青葉区)
言わずも知れた「仙台城」は、関ヶ原合戦後に伊達政宗公によって築城されました。断崖と深い森に囲まれた天然の要害で、青葉山に築かれたことから「青葉城」とも呼ばれています。
幕末までの260年余は、藩主・伊達家の居城であり、仙台藩の政庁として機能していました。
しかし明治維新を迎え、建築物は解体。遺構として残されていた大手門、脇櫓、巽門は、空襲により焼失し、仙台城跡に現存する建築物はありません。唯一復元された建造物として「大手門脇櫓」があります。
城跡一帯は青葉山公園として整備されており、仙伊達政宗公の騎馬像が立つ観光名所となっています。本丸跡からは、仙台市市街地や太平洋を一望でき、夜景も素晴らしいビュースポット!
また宮城縣護國神社や、仙台城や伊達系に関する資料を展示する「青葉城資料展示館」があり、VR(仮想現実)で仙台城の内部を再現した「仙台城VRゴー」も人気です。
遺構としては、石垣、土塁の一部が残されています。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
販売場所:青葉城本丸会館(仙台城本丸跡)
営業時間: 9:00~17:00(12月~3月は16:00まで)
料金:300円
所在地:
宮城県仙台市青葉区天守台青葉城址
アクセス:
【公共交通の場合】
・JR「仙台」駅西口バスターミナル16番のりばよりるーぷる仙台に乗車(約23分)-「仙台城跡」前下車すぐ
・仙台市地下鉄東西線「国際センター」駅西1出口より、徒歩約15分
【クルマの場合】
・東北道「宮城」ICより約15分
・JR「仙台」駅より約20分
駐車場:
有料/150台
② 若林城(仙台市若林区)
伊達政宗公の“第2の城”とも囁かれた「若林城(わかばやしじょう)」。1625~8年(寛永4~5)に築かれ、工事には政宗公自らが指揮を執ったといわれています。
幕府には「屋敷」として建造の許可を得ていましたが、城の周囲には高い土塁と水堀がめぐらされ、城郭としての機能を持っていました。
さらに城周辺には、家臣や町人が住む屋敷、町奉行も配置され、城下町が広がっていたのではないかと推測されています。
政宗公は晩年を若林城で過ごし、1636年(寛永13)に江戸城下の藩邸で亡くなります。政宗公の遺言に従い、場内の建物は仙台城二の丸に移築され、若林城は廃城。
現在は「宮城刑務所」となっており、入城することはできません。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
所在地:
宮城県仙台市若林区古城2-3
アクセス:
【公共交通の場合】
仙台駅前西口バスプール5番または6番のりばより仙台市営バス「薬師堂駅」または「市営バス霞の目営業所」行きに乗車(約17分)-「南小泉四丁目東」下車-徒歩すぐ
【クルマの場合】
仙台駅-県道235号-若林城跡(約13分)
駐車場:
なし
③ 岩切城(仙台市宮城野区)
「岩切城(いわきりじょう)」は仙台市の中心部から少し離れた、高森山に築かれた山城です。現在の利府~多賀城辺りを治めていた留守氏が築城したと考えられています。
南北朝時代に起こった岩切城合戦で知られ、100以上の死者を出した古戦場でもあります。
戦国時代後半には伊達氏の所領となり、伊達政宗公の叔父・伊達政景公が城主となります。しかし元亀年間に、政景公は居城を利府城へと移し、岩切城は廃城となりました。
現在は県民の森の一角を占める、高森山公園として整備されていますが、曲輪、堀切、土塁といった遺構が見られます。詳細は、ぜひ下記記事をみてください!
なし
所在地:
宮城県仙台市宮城野区岩切字入山
アクセス:
【公共交通の場合】
JR「仙台」駅からJR東北本線「小牛田」行きに乗車(約8分)-「岩切駅」下車-仙台市営バス「交通局東北大学病院前」行きに乗車(約4分)-「今市橋」下車-徒歩約20分
【クルマの場合】
仙台東部道路「仙台東」ICより約10分
駐車場:
無料、5台
④ 北目城(仙台市太白区)
北目城(きためじょう)は、16世紀後半まで粟野氏の居城でした。しかしその後、粟野氏は伊達氏に服属し、東山大原(現在の岩手県一関市)へ移封を命じられます。粟野氏の後継は、政宗公の側近・屋代景頼(やしろ かげより)が北目城の城主を務めました。
1600年。関ヶ原合戦が迫る緊迫した状況下で、仙台城を築城するのではなく、北目城を改築して本拠地としたらどうか、という案も浮上したようです。しかし時間がかかるため、その案は却下されたとか。
その後関ヶ原合戦がはじまると、政宗公は居城だった「岩出山城」には戻らず、北目城に居城。上杉勢と対立する拠点としたといわれています。
現在は住宅や商業施設が立ち並び、城郭の面影はありません。目印として、写真の標識と説明案内板が設置されています。詳細はぜひ下記記事をみてください!
住所:
宮城県仙台市太白区郡山4
アクセス:
【公共交通の場合】
・JR東北本線「長町駅」より徒歩約20分
・JR仙台駅前西口バスプール8番のりばより宮城交通バス・飯田団地線「飯田団地」行きに乗車(約16分)-「郡山四丁目・八本松小学校前」下車-徒歩約3分
【クルマの場合】
仙台南部道路「長町」ICより約4分
駐車場:
なし