仙台東照宮はなぜ創建されたのでしょうか? それは仙台藩初代藩主・伊達政宗公の死後からはじまります。
伊達政宗公が1636年(寛永13)の6月に亡くなると、2代藩主・伊達忠宗公は翌年に政宗公を祀るため「瑞鳳殿(ずいほうでん)」を建立します。ところが、この年の7月に仙台で大きな火災が発生し、12月には「若林城」の蔵が焼失。この火災により領内の検地帳が失われてしまいます。さらに翌年の1637年(寛永14年)6月には大洪水に見舞われました。この災害により仙台藩は苦しい財政難に陥ります。
そこで忠宗公は、江戸幕府に約10万両の借金を願い出ることにしました。このお金をもとに、1638年(寛永15)仙台城二の丸の工事を着工。さらに新田開発によって新たに田が開かれ、仙台藩は急場をしのいだのです。
幕府の支援が仙台藩を救ったと考えられています。
この幕府の支援に対し忠宗公は、1649年(慶安2)に幕府への感謝と忠誠の証として東照宮の造営を江戸幕府3代将軍・徳川家光公に申請。
幕府から造営の許可を得た忠宗は、直ちに仙台城の鬼門(北東の方角)にあたる旧小田原村の玉手崎(現在の東照宮)に社殿の造営を計画します。
東照宮は、徳川家に対する尊崇と感謝の標(しるし)として創建されたのです。
もともとこの地には「天神社(現在の榴岡天満宮)」がありました。この天神社は、1590年(天正18)に起こった葛西大崎一揆鎮圧後に、政宗公が案内役となり家康公が境内で休息をとったゆかりの場所と伝えられています。
家康公をはじめ、徳川家と伊達家には深いつながりがあったのです。
忠宗公にとって東照宮の造営は晩年最大の事業となりました。
社殿の造営のみならず、神社を維持管理するために御宮町(現在の宮町)を制定。また仙台最大のお祭りである東照宮御祭礼(現在の青葉まつりの起源)の斎行(行事のこと)と、御譜代町を含む氏子町の指定もしています。
忠宗公は東照宮を仙台藩の守護神とするために、さまざまな取り決めを行ったのです。
仙台藩の地位と基盤固めに多大な功績を残し「守成の名君」と評された伊達忠宗公。東照宮創建から4年後の1658年(万治1)に亡くなりました。
【仙台東照宮の基本情報】
住所:
宮城県仙台市青葉区東照宮1‐6-1
アクセス:
【公共交通の場合】
JR仙山線「山形」行き乗車ー「東照宮」駅下車、徒歩約3分
【クルマの場合】
東北道「仙台宮城」ICより約20分
駐車場:
無料/100台
駐車可能時間
8:00~17:00
伊達忠宗の想いが詰まった東照宮へ
東照宮は桜スポットとしても良いところですが、歴史を紐解くと先人たちの熱い想いが伝わってきます。
幕府の支援によって危機を脱した仙台藩。2代藩主・伊達忠宗の徳川家に対する想いは特別だったことでしょう。あなたも仙台東照宮に行って忠宗の熱い想いを感じてみませんか。